新聞2020.7~9

【目次】
【01非情な判決「体震えた」 原告男性、憤りあらわ 強制不妊】時事通信6/30(火) 18:51配
【菅官房長官「主張認められた」 強制不妊で東京地裁判決】時事通信6/30(火) 17:19配信

【03検証 旧優生保護法請求棄却 除斥期間、壁高く 「起点、どう遅らせても1996年】東京新聞7月1日朝刊
【04強制不妊の賠償請求を棄却 東京地裁判決、違憲性は認める】東京新聞2020年7月1日 05時50分 

【05「就労者は補助対象外」 異例の改正で精神障害者の作業所に動揺(横浜)】福祉新聞7/2(木) 
10:02配信
精神障害者の家族の3割「差別受けた」 医療機関の受診拒否も】―【精神障害当事者の家族に対する差別や偏見に関する実態把握全国調査】福祉新聞7/8(水) 10:02配信
【北広島町のグループホーム 死亡した入所女性の遺族と和解成立】7/14(火) 20:37配信中国放送
【DVの一時避難先に社会福祉法人 安定した受け皿に〈政府〉】福祉新聞7/15(水) 10:02配信
【「支え合いの輪広げたい」 夜の街で働く親に食品を無料配布(埼玉・川口市】福祉新聞
2020年07月14日
子どもの自殺、調査や公表阻む学校 遺族不安あおる発言の数々】47 News 7/21(火) 7:02配信
【3歳女児放置死の悲劇… 「自己責任化」された施設出身者が味わう現実】現代ビジネス7/25(土) 11:01配信 安發 明子(在パリ 通訳/コーディネーター/ライター)


【やまゆり園事件から4年、優生思想の風潮に警鐘】日刊スポーツ7/26(日) 18:59配信
【安楽死の対価はいくら? 逮捕の医師、ネット投稿 ALS患者嘱託殺人事件】京都新聞
7/26(日) 11:09配信

【「安楽死」要望、周囲に知らせず 支援者ら、今も受け止めかね ALS患者嘱託殺人事件】京都新聞7/27(月) 7:00配信
【ドーナツ食べ死亡、老人ホーム事故は「過失」なのか 准看護師に28日控訴審判決】産経新聞
7/26(日) 18:26配信
【児童虐待、DVの情報共有進まず 児相の4割が「連携例なし」】共同通信
7/26(日) 21:03配信
【女性保育士、泣く幼児を肘で床に押し付け…「両生類のハイハイ」指導中の動画】読売新聞
7/27(月) 8:17配信
【子供たちを救う方策に「里親」という選択肢を 四日市の児童養護施設長が啓発】毎日新聞
7/26(日) 11:21配信
「おかねのけいさんできません」男性自殺:追い詰めたのは自治会か、私たちか】碓井真史 | 新潟青陵大学大学院教授(社会心理学)/スクールカウンセラー
【「おかねのけいさんできません」男性自殺 障害の記載「自治会が強要」】
毎日新聞
7/31(金) 10:37配信
発達障害「専門医の多くが誤診してしまう」理由】東洋経済8/4(火) 5:35配信岩波 明 :精神科医
障がい者雇用のいま(1)数字を伸ばす「就労移行支援」とは何か?】
ダイヤモンド・セレクト「オリイジン」/福島宏之8/4(火) 6:01配信

【障がい者雇用のいま(2)「医療型就労支援」が導く光明】
8/7(金) 6:01配信

【「虐待を防ぐために…」精神疾患や依存症を抱えた親の子育て。どうサポートする?】婦人公論8/7(金) 12:01配信
【重度障害の娘を出産後、「仕事は絶対できない」と宣告された私がなぜ職場復帰できたか】プレジデントオンライン8/8(土) 6:16配信
【障害ではなく時代が憎い まひ治療中、医師は戦場へ】西日本新聞
2015/5/31 6:00 (2019/8/7 17:26 更新
【長沼建一郎(ながぬま・けんいちろう)】法政大学社会学部教授
【相談支援事業所が医療・看護と連携しやすい体制を - 障害福祉サービス等報酬改定で日本看護協会が意見】医療介護ニュース8/11(火) 12:46配信
【難病の患者も心の中では「本当は生きたい」と叫んでいる】日刊ゲンダイ2020.8/12(水) 9:26配信(佐々木常雄/東京都立駒込病院名誉院長)
【生活保護発足から70年、「無差別平等」の救済精神はまだ生きているか】ダイヤモンド8/14(金) 6:01配信
【判決確定から10年…川崎協同病院事件の医師が見た終末医療の今】女性自身8/21(金) 11:34配信
「女性自身」2020年9月1日 掲載
【「もしかしてうちの子も?」自閉症や発達障害を正しく理解する方法】ダイヤモンド8/24(月) 6:01配信
罪をくり返す障害者】バリバラTV7月29日(日)夜7:00 

【親との“絆”感じられない「愛着障害」 問題行動や学習意欲低下も・和歌山大教育学部・米澤好史教授よねざわ・よしふみ】時計2018/10/14 12:26神戸新聞NEXT
【不登校、家庭内暴力…増える子の「心の病」に対応 兵庫の病院に「児童思春期病棟」】神戸新聞
8/27(木) 16:00配信
【いわき母子4人刺殺 緑川被告は公判で「事件という気がない。後悔ってのはないです」】デイリー新潮8/28(金) 5:58配信
【福島第1原発、10メートル超の津波想定 東電が08年試算 震災4日前に保安院へ報告】日本経済新聞
2011/8/24付
【まるで「罪の意識」ゼロ、日本政府がモーリシャス重油流出に無関心なワケ】2020.9.8現代ビジネス
【重症障害者の生活支援へ 県、グループホーム整備に助成】神戸新聞2019.2.20
【障害児通所施設で中3女子を殴った疑い 施設長ら逮捕】朝日新聞9/7(月) 18:57配信

【「命を選別する価値観」にどうあらがう? やまゆり園事件「障害のある弟と重なった」 佐藤倫子弁護士の原点】弁護士ドットコムニュース2020年07月26日 09時46分猪谷千香
【認知症女性、行方不明3日後に側溝で保護 「あと1日遅れたら命の危険」警察や住民連携プレー】京都新聞9/10(木) 19:3
【<熊谷6人殺害>ばかばかしい…妻子殺害された男性、無期懲役確定に悔しさ「ああ、終わっちゃったんだな」】埼玉新聞9/11(金) 6:39
【知的障害者による突き落とし死亡事故裁判は、支援者たちに大きな課題を残した】
山田由美子2019/08/30 16:03サポートひろがりhirogari-shop.com
【Twitter、精神障害者の裁判】
【発達障害・知的障害のある子の「できる」を着実に増やすには?】現代ビジネス9/22(火) 10:01配信
【本文】



【発達障害・知的障害のある子の「できる」を着実に増やすには?】現代ビジネス9/22(火) 10:01配信

このくらいはできてもいいはずなのに……。うちの子、どうも様子が変だ。親が「育てにくさ」やほかの子との違いを強く感じる子どもには、発達障害や知的障害の傾向があると考えられる場合が少なくないそうです。
そうした傾向があると、子どもの将来や家族の生活などに不安を覚えてしまいますが、成長の過程で"わかりやすい"家庭の環境をつくり、"わかりやすい"働きかけ方を続けていけば、できることは着実に増やせるといいます。
子どものもてる能力を最大限に伸ばすために、心がけたいことを考えてみます。

もしかしてうちの子、成長が遅い……?
発達障害の傾向がある子どもには、育てにくさや成長の遅れを感じがち photo by gettyimages

 よそのお子さんにはとっくにできていることが、うちの子はまだできない。「ママ」や「パパ」という言葉を口にしない。簡単な会話も成立しない。何度注意しても走り回る……
「この子は育てにくい」「ほかの子より成長が遅い」と感じているお子さんには、発達のかたより(発達障害の傾向)や発達の遅れ(知的な遅れ)があると考えられる場合が少なくありません。
 発達のしかたにみられる特有の傾向から、苦手なことがあり、また子ども自身が困ることが生じているのであれば、発達障害の傾向があると考えられます。
 発達障害のある子どもには、年齢相応に発達する子どもとは異なる特有の傾向がみられ、それが「育てにくさ」や「ほかの子との違い」を感じさせることにつながっていると考えられます。
 発達障害は、その特性の現れ方から、自閉症スペクトラムやADHDなど、いくつかの状態に分類されます。
 これに対して知的障害は、全体的に発達の遅れがあり、そのために子どもが困惑している状態をいいます。知的障害も広い意味では発達障害といえます。
 発達の特性は、特徴的なふるまい、得手・不得手といったかたちで現れ、その現れ(特徴)により障害名が分かれています。
 おもな発達障害と知的障害

・いわゆる発達障害(「発達障害者支援法」の定義に含まれるもの)
・ 自閉症スペクトラム
 人とのかかわりが苦手で、強いこだわりがみられる。知的な遅れのない自閉症、アスペルガー障害などを含む
・ ADHD(注意欠如・多動症)
 衝動性・多動性・不注意という3つの行動特性が強く現れ、そのために日常生活に支障をきたしている状態
・ LD(学習障害)
 読み、書き、計算など、学習に必要な能力の一部が大きく制約された状態。得意なことは一部だけで、全般的な遅れはない点から、知的障害とは区別されている
・知的障害
 知的な発達の遅れがあり、そのために日常生活に支障をきたしている状態
 しかし、1つの障害だけにあてはまる例ばかりとは言えません。

2.
たとえば、こだわりが強いが衝動的な行動も多いなど、複数の障害にあてはまる特徴のある子どももいます。
 また、特性・特徴がみられても、ただちに診断が確定するわけでもありません。たとえば、衝動性の高さはADHDの特性の1つですが、知的な発達の遅れがあり、衝動を抑える力が弱いことが、衝動的な行動に結びつくこともあるからです。
 障害名は、子どもの特性を知る目安にはなりますが、どのような特性が強く、どんな点が困っているかは、ひとりひとり違います。子ども自身をよくみること、特性を知ったうえで接していくことが大切です。
 特性は、様々な形で現れますが、次ページではそうした子どもの気になるサインをご紹介したいと思います。
発達障害のある子にみられがちなサイン
棚やタンスに登りたがる photo by gettyimages

 発達障害のある子どもには、運動や言語、社会性などの発達のしかたの一部に、年齢相応の発達がみられる定型発達の子どもとは異なる特性が、様々なかたちで現れます。次にあげた項目にあてはまることが多い場合には、発達障害の傾向が強いと考えられます。
 発達障害の傾向があると考えられるサイン
(★自閉症傾向 ☆:ADHD傾向)

 コミュニケーション
 話しかけても目を合わせない★
 バイバイをする時、手のひらを自分側に向ける★
 欲しいものがあっても、指を差して要求しない★
 ほかの人の手を取って、自分の欲しいものを取ろうとする(クレーン現象)★
 感覚
 赤ちゃんの頃から、抱っこされるのが嫌い(抱っこしようとすると、のけぞったり、身をよじったりする)★
 特定の音が苦手でいやがる(ドライヤー、掃除機、トイレのジェットタオル、花火など)★
 音がするほうにすぐ注意がそれて、集中できない☆
 運動・動作・行動
 姿勢よく座ることが苦手★
 じっとしていられない(貧乏ゆすり、爪噛み、3歳になっても食事中に立ち歩くなど)☆
 棚やタンスの上など、高いところにのぼる(のぼりたがる)★☆
 目的のものがあると、それにしか目に入らず突進していく☆
 顔の前で手をひらひらさせたり、意味もなく、くるくる回る★
 幼稚園や保育園で、先生の指示からワンテンポ遅れて行動する★
 生活
 食べ物の好き嫌いが激しい★
 食器をうまく使えない★
 昼寝をしない、夜眠らない(乳児期を過ぎても睡眠のリズムが定まらない、ちょっとした刺激ですぐに目を覚ます)★
 遊びや服、手順や道順、ものの置き場所などがいつも同じでないと怒るなど、こだわりが強い★
 ものの取り間違え(ほかの人のものを使っているなど)が多い☆
 何度も注意されてことも、繰り返してしまう☆
 ひんぱんに持ち物をなくす☆
 食事や着替えの最中にぼーっとしていて、なかなか終わらない☆
 3歳を過ぎてもまわりの子どもにまったく関心がなく、ひとり遊びばかりしている★
 上記の例は、あくまでも自閉症スペクトラムやADHDの傾向があるかどうかの目安であり、診断基準となるものではありません。
 (「子ども支援研究所」作成のリストによる)
 これらの例にあてはまることが多いと、発達障害の傾向が強いと考えられ、とくに自閉症スペクトラムの傾向がある子どもには、知的な発達の遅れがみられる場合も少なくありません。

3.
「話さない」より気をつけたいこととは?
 「話さない」「"まんま"とか"わんわん"とか、意味のある言葉が出てこない」など、言葉についての心配もよく耳にします。
 ただ、言葉が出てくる時期に個人差があり、言葉が出てこなくても、言われていることがわかっている様子なら、知的発達の面で大きな遅れはない可能性が高いと考えられます。子どもの言葉の遅れについては、「話せるかどうか」に目が向きがちですが、知的な面での遅れが心配されるのは、言われていることが理解できるかという点です。
 言葉について気がかりなサインとしては、次のようなことがあげられます。
 「言葉」にみられる気がかりなサイン
・言葉での指示が伝わりにくい
 言葉の意味がわかっていない可能性がある
 聞こえの悪さがある場合もあるので注意
・同じ年頃の子より言葉が出るのが遅く、意味のある言葉を発しない
 3~4歳で発語がないようなら、発達の遅れの可能性がある
 口や舌、声帯などがうまく動かせない場合もあるので注意
・話すようになったが、「話が一方的で会話が成立しない」「テレビCMのフレーズやアニメのセリフ、両親の口ぐせなどのひとり言が多い」など、気になる点がある
 言葉でのコミュニケーションがうまくいかないのは、自閉症スペクトラムの特徴の1つ
 (「子ども支援研究所」作成のリストによる)
 意味のある言葉が出てこないと、保護者の不安は深まります。発語を促すには、子どもが理解できるように働きかけていくことが大切です。
子どもへの対応も、気持ちの準備もあせらずに
子どもといっしょに成長しながら、考えていくことが大切 photo by gettyimages
 子どもに気になるサインがある場合は、自治体の設けている発達に関する相談窓口で個別相談を受けることができます。しかし、気になる点が障害と診断されるものなのか、あるいは「たんに発達がゆっくりだった」「健診時にたまたまそうだった」ということなのかは、すぐに判断できません。まずは子どもの様子を見守り、対応を考えていきましょう。
 そして、いろいろな対応をとった結果、発達障害や知的障害の診断がつくことも考えられます。あなたは、子どもの状態に対してつけられた〈障害〉という言葉に落胆し、悲嘆に暮れているかもしれません。どのようにして子どもの障害を受け入れるべきでしょうか? 
 具体的な診断名が告げられると、親をはじめ家族が動揺するのは当然です。診断がつく前なら、「いつかはほかの子に追いつく」「もうすぐ困った状態も解決する」などと考えて、障害の可能性から目を背けている人も多いものです。
 子どもの障害の受容には時間がかかるものですが、その間の葛藤も親として成長していく過程でもあります。
 保護者が葛藤している間も、子どもは発達していきます。子どもの持てる能力を最大限に伸ばすために、家庭で、いつ、なにをすればよいのか。子どもといっしょに成長しながら、考えていくことが大切です。

4.
厳しくしても「できること」は増やせない
 言葉が出ない、おむつも取れないと、今は「できないこと」ばかりに目が向いているかもしれません。しかし、注意したいのは、「わかること」「できること」は、厳しく教え込むことで増やせるものではないということです。
 厳しくし過ぎたり、叱責ばかりだと、「どうすればよいのか」がわからないままで、自己肯定感(自らを認める気持ち)が育たず、無力感につながってしまいます。
 障害のあることをふまえて〈子どもの特性を知ること〉に留意しつつ、そのうえで、今、その子が〈必要としているかかわり方を続けていくこと〉で、子どものできることは確実に増えていきます。

育ちを支える環境を整えよう
安心できる関係、落ち着ける環境をつくることが大切 photo by gettyimages
 障害のある子どもに対し、「もっとがんばれば、できるようになる」「家庭でも療育(訓練)していかなければ」と考える人も少なくないでしょう。
 子どもの成長に対して期待する気持ちは大切ですが、文字や数字、言葉をたくさん覚えさせるといったことだけを目指しても、全体的な発達を促せるわけではありません。
 親ががんばりたいのは、子どもの育ちを支える環境を整えることです。
 発達障害や知的障害のある子どもは、理解力や判断力が弱かったり、刺激に敏感だったりするため、親が気づかないうちにストレスを感じていることがあります。わからないこと、いやなことだらけの環境では、子どもの持つ力は伸びていきません。
 子どもの力を伸ばすためにできるかぎりのことをしていこうと願うなら、まずは子どもが安心できる関係、落ち着ける環境をつくっていきましょう。
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具体的なノウハウはこちらで詳しく解説
『知的障害/発達障害のある子の育て方』
親が育てにくさを強く感じているお子さんには、発達のかたより(発達障害の傾向)や、発達の遅れ(知的な遅れ)があると考えられる場合が少なくありません。
本書では、発達障害や知的障害への理解を深めながら、保護者に求められるかかわり方を示し、お子さんが必要としていることはなにか、育ちを伸ばし支えるためにどう対応していけばよいか、具体的な働きかけ方を紹介します。
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からだとこころ編集部
【Twitter、精神障害者の裁判】
心身衰弱で罰を軽減ネタほど、一般人にとったは不毛な裁判はないですね.
また自宅での精神病の妻と子の介護が負担だったとありますが、いま、医療や介護は施設から地域へのスローガンの元で医療介護費削減のために本来ならば自宅で介護することのできないレベルの方まで病院から追い出されます。こういう背景も忘れてはいけません。
介護と違って施設がパンパンというわけでもないから
同居家族の判断で強制入院させられるんだけどな。
本人に鬱診断が下っていたなら絶対に可能なはず。
*病名が分からないと何とも言えない。
「施設から地域へ」は本当に害悪でしかないですよね。
うちの地域にもいるよ。小学生に殴り掛かってくる奴。
皆うまく逃げるから怪我してない=被害が出ていないから家族も入院させなくていいでしょって開き直ってる。地域に戻すというのなら、地域にも強制入院の判断をさせてほしいわ。

【知的障害者による突き落とし死亡事故裁判は、支援者たちに大きな課題を残した】
山田由美子2019/08/30 16:03サポートひろがりhirogari-shop.com
1.はじめに
最初に、亡くなった方のご冥福をお祈り申しあげます。
防ぐ手立てがなかったのかと悔やみます。
きれいごとではないのです。人が亡くなっているのですから。
だからこそ、知的障害がある人のことを知らず、批判をしている人とも、もっとお話をして、その人たちの想いを知りたいと思いました。
だからこそ、自分自身のできていない役割にも気づきました。
だからこそ、お互いの意見を出し合って、知的障害がある人のことを省くことのない社会を作る仲間を募る必要性を感じました。
それらは、亡くなった方の死を無駄にしないことを誓い、原告の皆さんにも思いをはせ、書かせていただきました。
敬称略で失礼いたします。
そして、2019年8月22日から毎日書きはじめ、気づけばもう1週間を過ぎました。
まとまりがなく、同じことも繰り返し出てきております。
14000字を超す長文です。
2.事故の概要(判決文より要約抜粋)
裁判の原告は、亡くなった管理人の家族。
被告は、管理人を突き飛ばした知的障害がある息子の両親。
焦点は、両親の息子に対しての監督責任。
知的障害がある息子は、突発的興奮があり、人を傷つけることもあり、入退院を繰り返していましたが、入院先から入所施設を薦められた両親(被告)は、「自分たちで面倒を見ます」と、入院先の医師の提案を断り、自宅で3人の生活を続けていました。そして、調子が悪いときは、入院をする方法を取っていたとのことです。
また、息子が外に出る時は、両親もしくは片親がついていきましたが、両親の知らない間に出ていることもあったよう見受けます。
なぜなら、マンションでは、息子が、非常ベルを押したり、裸になっているなど、住民から迷惑行為と言われることが起きており、管理人は外に一人でいる息子を見つけると家に伝えに行くことが、それまでもあったとのことですから。
さて、その日、
機嫌がよさそうだと思ったこと
夕方、夕飯の準備のためについていける時間帯ではなかった
ということで、息子だけを外に出した母。
外にいる息子を見つけた管理人は家に連絡に行き、母も外に出て、管理人と二人で息子が遠くにいることを確認します。
管理人は、家に帰るように促しに行こうとしますが、その時も、機嫌が良いと思っている母は、「追いかけないでほしい」と管理人に伝え、自宅に戻りました。
その後、管理人が、この家の玄関の前にいたところ、息子が走って近づき、管理人を階段のところまで押して移動させ、そのまま突き飛ばし、後ろ向きのまま階段下に転げ落ちた管理人は、大けがの末、亡くなったのです。
判決は、2019年8月22日。大分地裁にて。
「両親は、親権者ではなく、監督義務も負っていなかった」として、請求は棄却されました。

3.原因は?(仮説)
この事故は、なぜ起きたのだろうかと考える時、その瞬間だけを考えるのではなく、その事故の日に至った経緯を考えていく必要があると思います。
様々な憶測事でありますが、こうしていなければ、別な展開になったのではないかと思うのは人間のサガ。あえて、そのサガに則って考えてみます。
両親に聞いたわけではないので、どれも正しいかもしれませんし、どれも間違いかもしれません。あくまでも山田の個人的な憶測です。
まず、私が考えるこの息子は、行動の様子から、行動障害がある人と位置づけてお話をしたいと思います。
私が捉える、行動障害とは、もともとの障害に起因して、情報処理や情報の整理等が難しく、そのためにコミュニケーションなど、行動する時に障害が発生する人です。
そして、下記には強度行動障害の人の判定基準をつけます。
ここで、どんな行動があるかの一例が出ています。
(参考)
強度行動障害児(者)の医療度判定基準
原因として考える仮説の視点は5点です。
(1)「入所施設を断り自分たちで面倒を見る」とのことで、福祉が関わっていなかった?
両親は、入院先の提案を受け入れず、施設利用をことわりました。
自分たちで何とかできると思っていたと思います。
そして、他者には迷惑はかけない様にしようとしていたと思いますし、まさか、自分の息子が管理人と会ったとしても、離れていれば、他害行為をするとは考えていなかったのだろうと思われます。
また、これまでの息子の様々な行動そのものを見ても、他者の死亡事故につながる行動になるとは、想像をしていなかったのでしょう。(それまでの他害行動で、両親の骨折・目の負傷などしている)
今存在する施設を利用せず、「自分たちが面倒を見る」という親はどこにでもいますし、逆に、預けたいと思っても、施設の空きがなかったり、預けていたいのに、施設が迷惑がかかるという論理で出されてしまうことも、現実にはあるのです。
そして、想定外のことは誰にでもあります。ですから、このご両親も、まさかこんなことが起きるとは思っていなかったのでしょう。
さて、この両親は、支援者の私から見ると、SOSの状態だったことは言うまでもありません。
大きなけがもしていますし、何事もないようにと南京錠をつけたり、外に出る時にもついていましたし、何かあれば入院をさせていましたから。自分たちで対応するには、無理があることは、心の中ではわかっていたはずです。でも、残念なことに、施設をたよってはいただけなかった。
ですから、施設が関わっていたら、違う展開になった可能性もあったのではないでしょうか?
息子は親御さんには言葉で話しているので、他者にも言葉で言えるようにと支援できたのかもしれません。
(2)行政・相談支援事業所は、関わっていなかった?
この件に、行政・相談支援事業所の絡みがないことは、両親があてにしていなかったか、もしくは、SOSを言える体制になっていなかったことをうかがわせます。入所施設に入らないとしても、通所施設やグループホームにも、行きつかなかったのは、なぜだろうかと思うのです。
サービスは申請主義です。
これは、申請できる人にとっては、良いことです。
自分がどんなことに困っていて、どんな支援が必要なのかは、サービスの提供側が決めることではなく、ご自身で「ここに支援が必要」と具体的に言えたほうが、より適切な支援が受けられるからです。
でも、迷惑をかけてはいけないと思っていたり、もっと自分ががんばらなければならないと思っている人にとっては、申請はしづらく、どこかや誰かが、背中を押してあげるくらいがちょうどよいのです。
実際に、主張できない親御さんは、たくさんいらっしゃいます。
関係するケースワーカーや相談支援事業所は、サービスを使っていないということで、連絡を取ってなかったことも考えられるのではないでしょうか?
(3)息子の突発的な行動にケガをしても、がまんをしているだけだった?
息子の突発的な行動の内容を見ると、行動障害の人のパニックにも見受けられます。
でも、その突発的な行動がなくなるような「支援」は、されていなかったようにも見受けられ、両親は「がまん」ということだけで、対応をしている状況だったのではないでしょうか?
自分たちに何か課題を課して、自分たちだけがまんをするという構図は、何の解決にもならないとも思わなかったのでしょう。

(4)管理人・住人に行動障害への対応方法が伝わっていなかった?
一般的には、どういう障害があるとか、こういう対応をするとどんな行動をとるとかを、ご近所の人には言わない人がほとんどだと思います。
でも、学校や施設での実習などの接触する機会であれば、プロ集団であってもどんなパニックを起こす人なのか?の前情報は流れるのが常です。
ご近所に言わないのは誰しもだと思いますが、その理由としては、言うことでレッテルをはられるとか、差別的なことをされるのではないかという恐怖だと思います。
この管理人の場合、その事実を知らなかったことと、正義感も強く、住民からの苦情対応をしようとし続けた結果、このようなパニックがあることもご存じではなく、自分が何とかしなければならないという気持ちになったのではないでしょうか?
この管理人だけではなく、プロの支援者でさえも、パニックへの対応ができる人ばかりではないのです。それだけ、行動障害の人への支援の方法、関わり方がまだまだ浸透していないのではないでしょうか?
何があっても関わらないようにと伝えておくべきでしたし、パニックのことの大きさや危険度合いを管理人には伝えておくべきだったのかもしれません。

(5)病院は、もう一押しできなかった?
専門家は、当事者側からの訴え通りにするだけではなく、時には、つかんだニーズに基づいて、次に進む道へのアドバイスをすることや、出にくいSOSをつかむために働きかけをするべきです。
今回、ニーズをきちんとつかんでいるようには見受けられませんし、断わった時点で断った理由を探っていなかったかもしれませんし、病院が提案した施設ではない他施設の紹介をしても良かったと思います。でも、紹介はしていないよう見受けられます。
施設側からの提案を断ってくることは、当事者にはよくあることです。それでも、見方や視点を変え、なぜ断っているのかのニーズを引き出し、専門家としての意見はもう少し提案してもよかったと思いますし、断わられたことで、関わることを先延ばしや終了とするのではなく、それでも、ニーズを解決するために動くことが必要でしょうし、行政や相談支援センターとも協力しつつ、より良い方向に結び付けらたのではないでしょうか?

4.自分が被害者の側だったら
今回、原告になったのは、死亡した管理人の息子です。
何の時でもそうですが、逆の立場だったら?と私は考えます。
知的障害だから、
判決が出たから、
だけでは済まされない感情は被害者の側にあると思うのです。
常に考えたいのは、両方の立場のこと。
今回、息子は、管理人の死を意図していたわけではないと思います。
何かに対して嫌だと表現をしただけです。
でも、人がひとり亡くなっています。
刑事責任は、問わないとしても、何らかの形で損害賠償という視点は、あってほしかったと思います。両親が支払うという形ではない場合、行政や国としての視点があってもよいと思うのです。
障害がある人の権利だけで、主張したくはないですし、その補償という部分は、国や社会として考えるべき課題なのだと思います。裁判で、管理人の息子が国を相手取っていたら、また違う結果になるのかもしれません。
インターネット上の書き込みでは、たくさんの人たちのやりきれない怒りも吐露していました。(6.補足を参照)

本当につらい事故です。
この判決によって、知的障害がある人の立場は護られたのでしょうか?
管理人の家族は、納得いくのでしょうか?
管理人の家族から見たら、相手が障害者じゃなかったら…とも思っている可能性があると思いますし、控訴も考えるのではないかとも思います。

5.支援者に課せられた課題
私たち支援者は、宿題をいただきました。時間がかかってもやり続け、やり遂げなければならない宿題です。
この一件こそ、風化してはいけないことだと思いますし、亡くなった方の死を、支援者として、明日の自分の働き方に、変化させるべき視点でなければなりません。
そして、明日、私やあなたの所で起きる可能性もあります。
それは、知的障害がある人だから仕方がないということで言い切ることではないですし、きっかけや機会を作ることで、このようなことが起きないようにしなければならないですし、一般の人からも、被害にあうから知的障害者に近寄らなければよいということにつなげることは絶対に避けたいですし、今までの常識を私たち支援者側が変更しなければならないことなのです。
当然のことながら、知的障害がある人の支援者として、自分ができることは何か?と考え続けられる人が、多くなってほしいと願います。

6つの視点で課題を考えました。
(1)どこで起きてもおかしくはない事故
私が関わった行動障害の人が、ホームから人を突き落したことがあります。
(突き落としたことで、他施設から私の施設に来た人)
でも、その人のコミュニケーションに合わせた支援ができていれば、日常のその人は、そんなことをする人ではありません。その人にとって嫌なことが起きたとしか考えられません。一言付け加えておくと、嫌なことは、嫌なことが起きた時に一番近くの人に向けられたりもするので、パニックの対象となった人(ターゲット)が嫌なことをしたとも限りません。
そう考えると、自分が嫌だったことの表現として、パニックという表現があり、それは一般の人にとっては不可解、かつ、対処ができにくい行動です。
行動上の障害がありますが、もし、違う方法で嫌なことの不快感を表現できるのであれば、そのほうが良いですし、嫌なことが起きた時の自分自身の対処方法を知っていれば、もっと違った他者との関わりができます。
いつどこで、あなたの関わっている人がこの事故のようなことを起こしてもおかしくない訳ですから、行動障害の人に対して、表現の仕方への支援や、一般の人へも伝えていくことは、各事業所・各支援者の役割として、これから実践していく事業所や支援者が増えてほしいものです。
起きてからではなく、起きないようにという考え方は、支援が必要な人への支援の基礎としても、重要な位置を占めるからです。

(2)パニックにならないような支援スキルの獲得
パニックは、嫌なことや不安な状況を訴える表現方法です。
嫌だ・不安だなどを表現することそのものは、してよいことですし、その方法しか知らない人であれば、そういう方法を取ったことをまちがいと決めつけることではありません。ですが、できれば、他害という方法ではなく、別の、誰にでも受け入れられるような表現ができる人になってほしいと願います。
その表現方法は変更することができる人もいますが、多くの行動障害の人は、その行動を自ら変えることはできません。
ここには支援者の関わりが必要ですし、さらには、パニックになりにくい生活環境や生活の仕方を整えたり、パニックではない表現や嫌なことの回避方法を体得していくことは必要だと思います。
そういうことは福祉施設等が役割として持っており、福祉施設が関わっていくことで、できる支援があり、そのことを困っている親御さんにも伝えていくことが職業的支援者の役割でもあるのです。
日ごろから、あなたが関わっている行動障害の人の支援技術は持っているべきだと思いますし、広く伝えることです。そして、もし、まだ手に入れていないのであれば、早急に学ぶ機会を作っていきましょう。

(3)一般の人は、パニックの時は関わらないでもらう

パニック状態になった時は、一般の人が関わることは、ご本人にとっても関わろうとした人にとっても、予想できないことが起きやすい状態です。
それは、下記ブログにも書きましたが、何とかしようとする気持ちは感謝しつつも、私は近寄らないでくださいとお願いしたいです。
毎日関わっている支援者であっても、時に大けがをすることもあるのです。
支援技術がない場合もありますが、予測できない動きであったり、誰かを守るために体を張った場合にも大けがになりやすいのです。
もちろん、パニックになってしまった場合、一般の人が、簡単に鎮められるわけでもありません。
そして、これはパニックの時です。通常の穏やかな状況の時の方が多いのです。ですから、平常心の場合に接するときに慣れない人の場合は支援者のコーディネートを受けつつ、体験してみる機会を施設側は作っていくのもよいと思います。

街でパニックになっている人に出会ったら
福祉に関心はある人で、 障害者支援をしたことがない人から、 受けた質問です。 「自閉症の人が、 街で大声をあげ…
teamaoi2003.com
(4)ニーズは取れているのか、サービスにつなげるだけが、福祉ではない

ニーズは取れていますか?
そのことに対しての支援をしていますか?
そして、自分たちの支援内容を評価し、より良く変化させようという体制はできていますか?
意見は利用者のためであり、職員の都合は避けていますか?
そして、サービスにつながれば、もう、終わりではありません。

施設は自立に向かうための支援機関ですから、その人のニーズに対応し、困っていることや障害の軽減を考え、支援をしていきましょう。
そして、自分のところだけではなく、他の事業所も含めて、その人の今以上のしあわせにつながる支援を展開していきましょう。

利用者が主人公です。
利用者の人が自分の人生を人に決められることばかりではなく、自分の人生に積極的に関われる機会を持ち、自立を意識し、支援を受けていくために、職員がいると再確認しましょう。

(5)障害者支援は、役割づくり~まちづくりの観点で
私たち支援者がしている「障害者支援」は、結論から言うとまちづくりだと思っています。
誰もが「困っている」が言えて、困っていることに対して、できる人ができることをすることで、困っていることが減っていく。
困っていることが減れば、笑顔も増えていくし、役立っている感が増えたり、関わりも増えてきます。

小さな積み重ねですが、幸せになる人が増える関わりでもあるのです。
ですから、障害がある人は、もっと外に出る機会を作ってほしいですし、そのことで、障害がある人のことを知る人が増えたり、障害がある人の持つ強みが活かされ、役割が意識できることは、障害がある人にとっても一般の人にとっても、より良い情報の共有となり、まちを活性化するスタートになることでしょう。

障害があってもなくても、子どもでも寝たきりの人でも、周りの人にとって、役割があることは、とても大切なことだと考えます。

(6)断る(断られた)のであれば、次を紹介する

これをしていない事業所も多く、相談を断り、終了としていると思いますが、自分のところでできないのであれば、他の事業所を紹介してほしいところですし、ないサービスを作り出すのもまた、支援者の役割でもあります。
事業所を知っているのは、事業所側。親御さんはどんな事業所、どんなサービスがどこにあるのかをよくは知りません。
ですから、ニーズへの支援をするためにも、次の事業所やサービスを紹介できるようにしていただきたいものです。

6.親に課せられた課題
親は、遠慮をして社会に迷惑がかからないようにと考えている人も多くいます。でも、それだけでは、解決しない問題はあります。

親の課題として、5つ書きました。
(1)親はSOSを発する基準を下げよう
自分が我慢すればよいと思っている親御さんは、非常に多くいます。
でも、今回、その気持ちがこのような事故になり、悲しむ人や疑う人をたくさん作ってしまいました。
良かれと思ってやっているあなたの我慢が、こういうことになるとも思っていないと思いますが、これでは、親御さんの気持ちの結果として、本末転倒です。

SOSを言うことは恥ずかしいことでもありません。
まずは、言葉にしていきましょう。
あなたのSOSが、サービスを作り出すのです。
障害者支援業界をもっと良いものにするためにも、声を出しましょう。

(2)最高の施設は今のあるサービスを使いつつ見つけていく

最高の施設を求めて、ご自身の基準に合わないから、福祉を頼らないという親御さんもおいでだと思いますが、最高の施設って何でしょうか?
確かに自分の子供にとってより良い施設を求めたいのはわかります。
でも、あなたのお子さん一人だけを見ているわけではなく、集団の中であなたのお子さんを見ることになりますし、あなたが知らない所では事業所としてするべき事務仕事などもあります。また、職員のなり手が減っている状態で、職員数が確保できない所が増え続けていることは、社会の問題でもあるのです。
あなたが思っていることは、自分のお子さんの支援のことだけであるなら、もっと施設の職員が何をして時間を割いているのかなど、探ってみると評価が変わってくると思います。
また、使わなければ事業所はよくなりません。
ただただ施設を批判するのではなく、使って意味がわかることもあるでしょうし、意見を言うことで改善することもあります。
入った事業所が、良くない部分があったとしても不平不満を言うだけではなく、課題解決のための人材になっていただけないでしょうか?
そして、どうしても納得がいかなければ、その施設を利用しつつ、より良い施設を探すこともありだと思います。

(3)支援方法を学ぶ

様々なノウハウをお持ちの事業所はどんどん増えています。
事業所でうまくいった支援方法は、親子の関わりや地域の人との関わりにも使えるものです。ぜひ、興味を持ってそのノウハウを学んでください。
そして、わからないことや困っていることは、職員に伝えていただけることで、支援者側ももっと違った支援方法を編み出す事でしょう。
こういう部分にもSOSを出して行くことはとっても大切なことです。
さらには、行動上の障害がある人に対しての支援方法を学ぶ機会や情報はインターネットなどにもありますので、ぜひ、同じような悩みを抱える人と学んでいただければと思います。
私の所属するサポートひろがりでも、支援方法を学べる機会はご提供しております。その一つである、ブログをご紹介しましょう。

知的障害×自閉症×支援力UPプロジェクト
特定非営利活動法人サポートひろがりは、「知的障害者支援者を支援する」という手法で、知的障害者や自閉症の方々のよりよい人生を
teamaoi2003.com
また、そして、行動障害がある人(自閉症の人)への支援の仕方のセミナー動画や支援に役立つ冊子もネットショップで販売していますので、ご紹介しましょう。

サポートひろがり
hirogari-shop.com
(4)保険に入る

障害がある人の保険をご存知でしょうか?
今回は裁判になりましたが、保険というものを使うこともできたのではないかと思うのです。
もちろん、今回のような事故は、非常にまれではありますが、パニックによって誰かがけがをしたり、何かが壊れたりすることはありますので、双方が和解するもののきっかけとして、保険という方法も有効だと思われます。
様々な保険会社がありますが、知的障害がある人の保険会社として、事業を展開しているぜんち共済を参考資料としてつけておきます。
「ぜんちのあんしん保険」の特長|知的障がい・発達障がい・ダウン症・自閉症でも入れる保険のぜんち共済
www.z-kyosai.com
(5)親あるうちに

通常、親は子より先に死ぬものです。
ですから、親があるうちに、親亡き後をどうするのかと決めていくことです。死ぬ前の日まで面倒を見たいとか、個に先に死んでほしいと願う親が後を絶ちませんが、それは、子の人生を否定していることになります。
自分がいつ、子を見れなくなるかはわからないものです。
頼れる誰かを作っておくことです。
そういう親になりましょう。

7.補足(共同通信社記事の間違い)
残念なことに最初に出た共同通信社によるインターネット上の記事には間違いがあり、その記事を各新聞社がまねたようでしたが、その記事の、2つの「間違った部分」を間違いとも知らず、ご覧になった皆さんからの意見があったことを書き残しておきたいと思います。
もちろん、間違ったことに対してではない意見もありましたが。

(1)共同通信社記事(yahooより)
(上の写真は、間違っている共同通信社の記事)
知的障害者の親には賠償認めず 突き飛ばし死亡事件で、大分地裁
8/22(木) 13:26配信 共同通信
 
 大分市のマンション階段で2014年、知的障害のある無職男性=当時(42)=から突き飛ばされ死亡した男性管理人=同(62)=の遺族が、監督義務違反を理由に男性の両親に計約5364万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が22日、大分地裁であった。佐藤重憲裁判長は請求を棄却した。
  訴状などによると、男性と当時70代だった両親はこのマンションに同居し、14年10月31日に行方が分からなくなった男性の捜索を母親が管理人に依頼。管理人は2階付近の階段にいた男性を見つけ連れ戻そうとしたが、男性は嫌がり、階段下に突き飛ばした。管理人は脳挫傷を負い、その後死亡した。
 
最終更新:8/22(木) 17:33
共同通信
 
(文章だけのも載せておきます)

(2)最初に出た共同通信社の記事には、二つの間違いがあると私は確認しています。(判決文から見たまちがい)

事実1】親は捜索を依頼していません。
共同通信社記事の間違い1】「14年10月31日に行方が分からなくなった男性の捜索を母親が管理人に依頼。」 
事実2】本人自宅前にいた管理人さんに走って近寄り、階段のところまで押して、そのまま下に向かって押しました。
共同通信社記事の間違い2】「管理人は2階付近の階段にいた男性を見つけ連れ戻そうとしたが、男性は嫌がり、階段下に突き飛ばした。」
(3)共同通信社記事の下にはコメントが書かれている

「知的障害がある人が守られる権利の部分と責任の部分」
「被告側が責任がないのであれば国の補償があるべきではないか?」
など、単に怒りだけではなく、問題提起も含め、約4340件のコメント。
(2019年8月24日現在4400件でしたが、2019年8月28日現在減りました)

その一部を書き記します。

知的障害者には絶対に関わってはいけない
知的障害者側は無敵なの?
親が責任を取るべきではないか
健常者の人権が無視されているのでは?
賠償を認めないと言う判決は問題だ
行政が被害者給付金を設立すべき
最悪の事態を危険予測したら、他人と関係するのはためらわれる
逆に障害者が差別される結果を生むと思う
社会的にもっと重く問題にするべきことだ
Twitterでは、「大分 知的障害」でキーワード検索すると、ニュースとともに多くのつぶやきが出されていましたが、同様意見も多くみられています。

但し、先に書きましたように、この共同通信社記事には間違いがあり、コメントの中には、その間違っていることを知らずに書かれているコメント(誤:親が管理人に捜索を依頼等)もあることを捉えておきたいと思います。

メディアは、やはり、正しいことを世に流してほしいと思います。
もし、間違ったのであれば訂正もしてほしいと思います。

そして、私たちはメディアを通して知ったことの中でも、自分の意見をきちっと持ち、踊らされないようにしていきたいと思います。

8.ニュースへの反応に対する私の考え
先ほどの、4000を超す意見。

これは社会に存在する意見であり、障害がある人の側から見ると、見たくない意見も多くあるのではないでしょうか?でも、そういう風に考える人が世の中にいるというのが現実であり、その人たちを間違いだと言い切ることでもないですし、できるだけ眼はそむけない方が良いとも考えます。
障害がある子の親御さんの多くは、自分の子に障害がわかるまでは、障害者と接したことがない人です。その中には障害がある人に対して、差別をしてきた人もいます。でも、知ったからこそ、わが子の味方になり、わが子をいとおしく育ててきている人が大半なのです。
障害がある人のことを知らない。
このことは、国や行政でさえも、多くの問題や事件を引き起こし、作ってきました。旧らい予防法・旧優生保護法などもその一部です。
私たちは、知ることでわかることがあり、わかることで、もっと知ろうとすることがあり、もっと知ることで理解につなげられるのです。
今、この事故があり、知的障害がある人と距離を置こうとしている人がいるのもまた、事実ではありますが、そう考える人たちに丁寧に知っていいただく機会を作り出すのは、知的障害者支援に関わる人たちであり、知的障害があるご本人の中にも、その役割を担える人がいます。
障害者は、いない方がよいという人もいます。
そう思うようになったその人が、いた方がよい人といなくてよい人とを分ける考えに至った事情を知ることはしていきたいことです。
かといって、障害がある人は、社会の様々な意見に「自分は生きる価値があるのか?」と問う必要はありません。命の価値に差はないのですから。
それぞれ、思うことには理由があります。
その人はそう思うのですから、そう思っていることは知りつつも、より、社会にとっても安心が作りだせる方向に考えていただけるよう、アクションを作り出したいと思っています。

時間はかかると思いますが、自分と違う意見を否定するだけではなく、共生社会という、とてもきついことをお互いに作る良さを考えられる人を増やすことだろうと思います。
共生社会とは、やさしさあふれる、心地よい言葉のように思えていると思いますが、実際には自分と反対の意見を持つ人とも、共に生きるというとてつもなくきついことだと私は考えています。
法律があるから知的障害者を差別するのはやめようという行政主導の考えは、本筋の共生社会ではないでしょう。
そして、知的障害がある人には判断能力を問われることは難しい人もいますが、支援者から、良いこと・悪いこと、人が喜ぶこと・悲しむことなど、見えない形をした感情を含めた、相手との関わりやコミュニケーションの方法なども含め、障害があるからと後回しになっていたことは、もっと知る機会を作り、経験を通じて、共生社会の一員として、考えられることも増やしていくことに着手する必要があるでしょう。
親や支援者は、知的障害がある人を、社会的弱者として保護するだけや主張するだけは、もうやめましょう。
役割を持ち、その人の自立を図り、社会を作る一員として存在できるようなったほうが良いのです。それは、この事故があろうとなかろうと。
今、知的障害がある人がいなくなってほしいと願っている人は、実際知的障害がある人がいなくなったら困ることを本当は知っていないと思っています。つまり、知的障害がある人がこの世からいなくなったら困るのは、社会なのです。参考に、ブログを張り付けておきます。

知的障害者が 存在しなければならない理由
知的障害がある人が、 「この世の中にいてもよい理由」などという、 生暖かいものではなく、 「この世に存在しなけ…
teamaoi2003.com
もちろん、先ほども書きましたように、知的障害があるから絶対に許されるというのではなく、この事故をきっかけとして、知的障害者ご本人が、他者にどのように接するか、自分の不快なことをどう表現し相手に伝えるか、また、今表現している方法が相手を傷つけるのであれば、そうではない方法で、表現できるように支援者が支援をしていくことも必要ですし、そこが、自分たちに課せられた課題なのです。

そして、被害者が救済される仕組みもまた、検討されるべきことだと考えます。亡くなった人やそのご家族が、死に損となることは、避けたいのです。
私も過去に他害行動で、大けがをしています。その場面では他の職員から「ここで施設長が死んだらどうするんですか!手を出していいですか?」と大パニック対応中に言われたことがあります。ここで、その職員が加わればもっと激しいパニックになるのが見えていたので、「まだ我慢して。でも、そこにいて」と、とにかく様子だけ見て我慢してもらっていたのです。
(なにしろ、私は足を持たれ逆さづりや羽交い絞めなどされていましたから)
支援者であれ、一度起きたパニックの収拾は、自分自身もケガをする可能性が高いので、彼らのSOSをどう表現していただくかということは、支援現場としての課題としてとらえてほしいことです。

9.おわりに
今回、この事故を知ったきっかけは、私は西日本新聞社からの依頼があり、民事裁判の判決の前に資料を見ることができたことです。(2019年8月20日)
それは、判決後にコメントがほしいという依頼でしたが、事件の全容を知らずに、新聞記事の1行程度のコメントは出せないと話したことによります。
2019年8月20日に、訴状などを読ませていただき、何ともつらい事件であることを知りました。そして、親の責任はあるだろうとも思いました。
ただ、どちらに判決が出たとしても、思うことは同じだろうと思いました。
判決が出た時(2019年8月22日)に判決文をお送りくださいました。
それを見ても、考えることに変わりはなかったため、記者から、20日に話した言葉を載せたいとのことで、了承しました。その記事が、下記に書いてあるところです。

知的障害者突き飛ばし死亡、親への賠償認めず 一定の理解と不満と

知的障害者突き飛ばし死亡、親への賠償認めず 一定の理解と不満と
知的障害がある男性=当時(42)=に突き飛ばされて亡くなったマンション管理人=当時(62)=の遺族が、男性の両親の監督義務を問うた大分地裁の訴訟は22日、親への賠償請求を認めず、遺族の訴えが退けられた。知的障害者に携わる人たちは判決に一定の理解を示す一方、犯罪被害者の支援団体は「遺族は怒りのやり場をどこへ持って行けばいいのか」と心情を訴えた。

 知的障害者の親らでつくる「大分県手をつなぐ育成会」の斉藤國芳理事長は、自らも知的障害の子どもを育ててきた。「知的障害者は突発的行動を起こすことがあり、ずっと監督して防ぐことは難しい」として、今回の判決には一定の理解を示した。
 ただ、自身の経験からは「親に法的責任が全くないとは思えない」と複雑な心境を吐露した。自らは「最低限の責任」として知的障害者向けの保険に入り、人や物に危害を加えた場合は補償できるようにしているという。

 知的障害者やその家族を支援するNPO法人「サポートひろがり」(川崎市)の山田由美子代表は、両親が行政や福祉に頼らずに面倒を見ていたことを挙げ「知的障害者は場面や状況の変化に繊細で、福祉の専門家でないと対処できないケースは多い」と指摘。「行政などにSOSを出し、福祉的なサポートを受けていれば結果は違った可能性もある。残念でならない」と語った。

 九州・沖縄犯罪被害者連絡会「みどりの風」の広瀬小百合会長は「刑事責任を問えず、民事で賠償も認められないとなれば、『自分の家族の命は何なんだ』となり、納得がいかないだろう」と遺族をおもんぱかった。自らも犯罪に巻き込まれて息子を失った広瀬会長は、刑事裁判の量刑などにも不満を漏らし「刑事でも民事でも、裁判は被害者に寄り添っていないと思うことが多い」と語った。 
(大分・日田玖珠版)
西日本新聞2019年8月23日朝刊26面

西日本新聞2019年8月23日朝刊21面(大分県版)
今回、この件について書くときに、事件とするか、事故とするか、非常に悩みました。障害がない人が起こしたのであれば、判決も有罪になり、事件となります。ですから、事件と書くべきなのだろうなと思い書き始めましたが、有罪にはならなかったので事故と書き直しました。

もちろん、そこは私が間違っている部分かもしれません。
でも、事故というには、亡くなった管理人は、納得なさらないだろうなとも思うのです。知的障害がある人が起こしたとしても、原告側への補償は欲しいと思います。
あと味が悪すぎるのです。

だからこそ、こういう事故につながらないように、自分たち支援者にできることは何かと考えていきたいですし、この件について、様々な想いに対してフラットな気持ちで、考えていきたいですし、同じようなことが起きないようにもしなければならないのです。
共生社会というキーワードが独り歩きせず、障害があるないにかかわらず、また、お互いさまだねとできることできないことを認め合って、自分のできることで、困っている人たちが少しでも減るような努力を、私はしていきたいと思います。

まだまだ支援者として力不足ではあるかもしれませんが、知的障害がある人の今以上のしあわせをめざし、私ができること、みんなで力を合わせることを一緒にやっていきたいと思います。
風化させず、心に刻んで、できることを続けます。
#支援
#知的障害
#山田由美子
#福祉屋あおい
#支援力
#大分突き飛ばし死亡事故
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【<熊谷6人殺害>ばかばかしい…妻子殺害された男性、無期懲役確定に悔しさ「ああ、終わっちゃったんだな」】埼玉新聞9/11(金) 6:39
 最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は、埼玉県熊谷市で2015年、小学生2人を含む住民6人を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われたペルー人、ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン被告(35)の上告を棄却する決定をした。9日付。一審の死刑判決を破棄し、心神耗弱を認めて無期懲役とした二審東京高裁判決が確定する。
 妻子3人を失った遺族の男性(47)が10日、埼玉新聞の取材に応じ、「悔しさしか残らない。今、聞いたばかりで整理できない。悔しい」と言葉を絞り出した。

 男性は事件で、妻の加藤美和子さん(41)、長女美咲さん(10)、次女春花さん(7)=いずれも当時=を亡くした。自分以外の家族を失い、3人に対しても「死刑判決まで持っていけなかった後悔がある」とこぼす。

 改めて一審さいたま地裁の死刑を破棄した二審東京高裁判決については、「信じられない。裁判官も、検察官も。まだ納得できない。ばかばかしい感情もある。検察官はなぜ上告してくれなかったのか。少しでも望みがあるなら裁判をやり直してほしかった」と訴える。

 日本の司法手続きについても、「上告の権利を被害者に与えてほしい。二審も書面中心の審理ではなく、一審と同じようにやってほしかった」と指摘。さらに、「もうちょっと被害者が意見できる場をつくってほしい。判決を見て、大事なことが書いていないと思った。そういうことを裁判官に質問できるようにしてほしい」と求める。

 二審判決は、事件当時のナカダ被告が心神耗弱だったと認定した。この点については、「少なからず殺人を犯す人はまともな状態ではない。そのときの精神状態は関係ないと思う」と主張。一審中には被告が「人を殺した」と口走る場面もあり、「殺人を犯した自覚はあると思う。どこがどう心神耗弱だったのか分からない。精神的な部分で争うことがおかしいのではないか」と考える。

 今月で事件からちょうど5年になる。16日は家族3人の命日だ。男性は「今は何も考えられない。ああ、終わっちゃったんだなというがくぜんとした気持ちと脱力感がある。今後のことはこれから考えたい」と無念の心境を語った。

【「娘の死、受け入れられない」 同居の祖父に殺害、福井の女子高生の父がコメント】毎日新聞
9/11(金) 10:38
福井市黒丸城町の住宅で女子高校生の遺体が見つかった事件で、福井県警は10日、この家で同居していた祖父の無職、冨沢進容疑者(86)を殺人容疑で逮捕した。県警は認否を明らかにしていない。発見現場は冨沢容疑者の自宅。司法解剖の結果、上半身に複数の刺し傷が見つかった。県警は2人の間にトラブルなどがなかったか、詳しい経緯を調べている。

 逮捕容疑は、9日夜、自宅で同居する孫の高校2年、友美さん(16)の上半身を鋭利な刃物で刺し、殺害したとしている。

 県警によると、冨沢容疑者は友美さんと2人で暮らしていた。9日深夜、福井市内の別の場所に住む息子で友美さんの父親に、自ら電話で連絡した。駆け付けた父親が1階で倒れている友美さんを発見し、10日午前0時10分ごろ、「娘が倒れて動かない」と110番。友美さんは病院に搬送されたが、死亡が確認された。

 近隣住民によると、冨沢容疑者は妻が病気で入院したため1人暮らしになった。友美さんとその両親らが容疑者宅を時々訪れ、食事を作るなど世話をしていたが、7月ごろから友美さんが同居していたという。

 近くの男性は、冨沢容疑者が毎日のように自宅敷地内を歩いたりする姿を見かけていた。数日前の夕方に冨沢容疑者と立ち話をしていたところ、友美さんが家から出てきて男性に頭を下げてあいさつし、「じいちゃん、ご飯」と声を掛けていたという。「(冨沢容疑者は)温厚な性格。その時も変わった様子はなく、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった」と声を落とした。

 友美さんの父親は11日、県警を通じて「大切な娘を突然の事件で失い、その死を現実のものとして受け入れることができません。今はただ、娘との最後の時間を家族で静かに過ごしたいと思います」とのコメントを出した。

【認知症女性、行方不明3日後に側溝で保護 「あと1日遅れたら命の危険」警察や住民連携プレー】京都新聞9/10(木) 19:3
 京都府舞鶴市内で8月30日から行方不明になっていた認知症の高齢女性が今月2日、住民の情報などを基に無事発見された。同市では高齢化が進む中、認知症の人の行方が分からなくなる事案が増えている。今回のケースは京都府警舞鶴署や市、住民が連携して発見に至った好例で、関係者は胸をなで下ろすとともに認知症高齢者を見守る地域づくりの充実に期待している。
女性は30日午後、山間部にある自宅を出て行方不明になった。舞鶴署や消防、地元自治会などの捜索で、生存率が下がる目安とされる「発生後72時間」が経過した2日午後4時すぎ、同市市場の側溝で動けなくなっている状態で発見された。
 同署によると、防犯カメラ映像に加え、近隣住民から寄せられた、女性が散歩でよく行く場所の情報も捜索のヒントとなった。「あと1日発見が遅れたら命の危険があった。3日後に無事見つかった例は珍しい」という。
 同署管内での今年の行方不明者保護件数は7月末で103件。うち認知症の人は47件で前年同期比15件増となっている。認知症高齢者の徘徊(はいかい)では、夜に車道を歩いていて車にはねられ、死亡した事例もある。府警本部によると、府内の認知症高齢者の行方不明者届は今年、8月末までに347件出されたという。
 府内の各自治体には行方不明時に生かすため、高齢者らの住所や体形、写真、徘徊時の行動パターンを事前に登録する制度がある。舞鶴市では約150人が登録しているが、市は「より制度を周知させ、登録者を増やす必要がある」とする。2日に発見された女性は未登録だったが、同署によると、登録があれば関係機関が迅速に情報共有でき、早期発見につながった可能性があるという。
 9月の「世界アルツハイマー月間」に合わせ、市は図書館に認知症コーナーを設けたり、認知症の理解を深める講座を開いたりしている。市高齢者支援課は「地域ぐるみで認知症高齢者が見守ってもらえる環境づくりに取り組みたい」としている。




【「命を選別する価値観」にどうあらがう? やまゆり園事件「障害のある弟と重なった」 佐藤倫子弁護士の原点】弁護士ドットコムニュース2020年07月26日 09時46分猪谷千香
7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者や職員ら45人が死傷した事件から4年を迎える。殺人などの罪に問われた植松聖死刑囚は今年3月、自分から控訴を取り下げて、死刑を確定させた。
しかし、この事件が投げかけた波紋は、今も人々に広がっている。それを見つめ続けているのが、香川県在住の佐藤倫子弁護士だ。2つ年下の弟、理一(まさかず)さんは、脳性まひとダウン症で、最重度の重複障害者。両親が長年、家庭で介護してきた。
事件の起きる2年前、両親が高齢になってきたこともあり、理一さんは茨城県内の障害者施設に入居したばかりだった。事件の被害者たちが理一さんの姿と重なり、佐藤弁護士の家族は大きな悲しみに暮れた。
あの事件が起きてしまった私たちの社会。佐藤弁護士の目には今、どのように映っているのだろうか。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)

●ふとした瞬間、弟が刺される姿が目に浮かんだ
「弟は、相模原の殺人事件で標的とされた方々と、全く同じ境遇にある」
4年前、事件発生から3日後に佐藤弁護士はこうフェイスブックに書いた。当時を振り返る。
「事件が起きたとき、私も相当、ショックを受けていたのですが、弁護士だし、刑事弁護人でもあるという中で、あくまで引いた感じで、社会的な事象としてとらえようとしていました」
どこかでショックから心を守ろうとしていたのかもしれない。しかし、3日経たった日の朝、母と電話してから、涙があふれて止まらなかったという。
「両親は30年以上もの間、自分たちで看てきた弟を施設に入所させました。両親は少しでも長く弟を看ていたいと思っていましたが、重度の障害者が入れる新しい施設ができるということになり、将来、自分たちが倒れたときのことも考え、悩みに悩みました」

通常、障害者施設は入所者が亡くなるなど、欠員が出た場合に募集があるだけで、空きは少ない。この機会を逃してしまったら、いざ入所させようと思ったときに、必ずしも希望通りの施設に入れられるわけではない。姉の佐藤弁護士も、結婚を期に遠方の香川県へと移住していた。

佐藤弁護士の両親にとって、理一さんを施設に入所させることは、苦渋の決断だった。

「それから、両親は毎週のように施設に通っています。弟を外に連れ出したり、食事を介助したり、散髪してあげたり。そんな生活を続ける中で、あの事件が起きました。母は特にショックを受けていました。被害者を自分の子どもとしか思えないわけです。
インターネットには、彼(植松死刑囚)に同調するような価値観もありました。入所させた家族に対する『どうせだって手放したんでしょ』『面倒をみていないんでしょう』というような心ない言葉に、母は傷ついていました」
理一さんを施設に入所させた自分は間違っていたのではないか。電話口で、自分を責めて泣く母。佐藤弁護士も、自分が当事者の家族であることを自覚せざるを得なかったという。
「ふとした瞬間、弟が刺される姿が目に浮かんでは、涙が止まりませんでした」

事件の背景に「命を差別する」社会の価値観
やまゆり園事件の判決によると、植松死刑囚は「意思疎通できない重度障害者は不幸である」と決めつけ、不要な存在とした。自分が重度障害者を殺害することによって、不幸が減り、世界平和につながると考えていた。
佐藤弁護士は、言葉を選びながらこう語る。
「彼は決して、特別な人ではありません。自民党の杉田水脈議員も2018年、LGBTの人たちについて、子どもを作らないから生産性がないと発言しました(編集部注:月刊誌『新潮45』2018年8月号)。
れいわ新撰組だった大西つねき氏も最近、医療や介護の費用がかかる高齢者を切り捨て、『命の選別をしなければ』と発言しています。
この社会では、何か価値を生み出す人間でなければ、受け入れられない−そういう価値観に彼自身もとらわれていて、その価値観にしたがえば、彼自身も価値のない人間なんだと判断せざるを得ない。
彼はそれに耐えきれず、『自分は役に立たない人間じゃない』ということを証明したいと考える中で、ああいう事件を起こした。これは、決して彼という特別な人が起こしたわけではなくて、命に差をつけ、何か役に立たなければいけないとか、有用でなければいけないとかを要求する、そういう社会自体の価値観が背景にあるのだと思います」

●死刑は確定したが、事件は終わらない
命に差をつける。そうした価値観に対して、佐藤弁護士は、憲法13条にある「すべて国民は、個人として尊重される」という一文をひもとく。
「憲法における個人の尊重、人の尊厳というのは、『あなたは、あなたとして価値がある』ということです。誰でも、どんな人でも、その人であるだけで価値がある。
だから、有用であることや役に立つこと、生産性があること、そんなことで人の価値の有無が決まるわけではないと私は思います。しかし、そうではない感覚が、社会全般にそこはかとなく蔓延しています。

たとえば、自民党の憲法改正草案を見ると、憲法13条から現行憲法にある『個人』の文字が消されてしまっています。改正草案Q&Aには「天賦人権説(編集部注:人は生まれながらに権利を持っているという思想)に基づく規定振りを全面的に見直」すとはっきり書かれています。
自民党憲法改正推進本部起草委員会のメンバーだった片山さつき議員は『国が何をしてくれるか、ではなく国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような全文にしました!』とツイートしています(編集部注:2012年12月6日19時37分)。
『あなたは国家のために何をするんですか?』と、国のために何かを成し遂げることが権利とバーターになっています。これは、役に立つ者が偉いのだ、そうでなければ権利すらないのだ、そういう、植松さんと通じるような価値観の表れなのだと思います」

植松死刑囚の裁判が終わった今は、事件をどう受け止めているのだろうか。
「彼自身がその価値観に押し潰される中で発現したものが、やまゆり園の事件だった。横浜地裁の死刑判決に対して、弁護人が控訴しましたが、彼自身が取り下げています。
でも、それによって事件は終わってしまった。社会の様相はまったく変わってない中で、単なる特別な変わった事件として終わってしまうのならば、悲しいことです。
あれだけの命が、社会的に蔓延している価値観によって殺されたわけです。それを単なる個人の事件として片付けてしまって事件を終わらせるとしたら、亡くなった方々やご家族も浮ばれないと、今は思います」

●弟を守る力がほしくて弁護士に
佐藤弁護士が弁護士を目指したのも、弟の存在があったからだという。

「小学校の卒業アルバムで、将来なりたい職業に『弁護士』か『舞台女優』と書いていました。ずっと、『芝居で食っていきたい』みたいな気持ちもあって、高校のときには、多い時で年間60本くらい下北沢とかで芝居を見ていました。
一方で、弁護士になりたいという気持ちもありました。理由として3つあったのですが、いずれも弟のお陰ですね。
1つは、弟の障害は本当に重度だったので、母は専業主婦になって彼を看ていたわけです。父ももちろん、何でもいろいろやる人なのですが、そうはいっても父の仕事中は母が世話をしていました。そんな母がいつも私に言っていたのは、『とにかく、手に職をつけなさい』『子どもを産んでも、何があっても続けられる仕事につきなさい』ということでした」
佐藤弁護士は、まさか自分が結婚するとは思っていなかったと話す。
「将来は、『弟と2人で生きていかないと』と思っていましたから。結婚のことは考えていませんでした。まだ社会保障の制度もわからなかった小学生だった私は、弟と一緒に社会の荒波を乗り越えなければ、と。
ただ、父には『会社に勤めたって女性は活躍できない。お前には向いていない』と言われていました。でも、私は力がほしかった。経済的にも社会的にも、弟を守ることができる力がほしかった」
当時はまだバリアフリーの考え方も普及していなかった。弟を車椅子で連れて出かければ、邪険にされたように感じた。
「小学校のころ、私は彼の車椅子を押しながら、そういう視線を感じていました。だからこそ、足を踏まれる側の立場に立てるような仕事がしたいと思いました。両親に言われたこと、弟を守れる力、弱い人の立場の側でできる仕事…とトータルで考えたら、弁護士でした」
相手の立場になってみる「共感」を広げていきたい



【福島第1原発、10メートル超の津波想定 東電が08年試算 震災4日前に保安院へ報告】日本経済新聞
2011/8/24付
東京電力は24日、福島第1原子力発電所に最大10.2メートルの津波が来て、押し寄せる水の高さ(遡上高)が15.7メートルになる可能性があることを2008年に社内で試算していたことを明らかにした。東日本大震災後、東電は福島第1原発を襲った津波の大きさを「想定外だった」と説明してきた。試算を踏まえて対策していれば原子炉が炉心溶融するという最悪の事態を回避できた可能性があった。
東電は試算結果の存在を震災後5カ月半も公表してこなかった。事故調査・検証委員会も経緯を聴取しており、今後、事故を招いた重大な原因として争点となりそうだ。
東電は02年の土木学会の津波評価をもとに、福島第1原発での想定津波の高さを最大5.7メートルと設定していた。08年に、869年の貞観地震や国の地震調査研究推進本部の見解などをもとに、巨大地震時の津波の規模を試算。福島第1原発の5~6号機に来る津波が10.2メートル、防波堤南側からの遡上高は15.7メートルという結果をまとめた。
実際に大震災による福島第1原発の遡上高は14~15メートル。試算に基づいて、電源やポンプなどの重要施設の防水対策をきちんととっていれば、全電源喪失から原子炉を冷却できなくなる事態を防げた可能性がある。
この試算結果を08年6月に経営陣も把握していた。東電は同年秋、土木学会に同学会の津波評価の見直しを求めたが、現在まで改定はされなかったとしている。
試算を想定津波に反映しなかった理由について「試算は試算であり、想定ではない」(松本純一原子力・立地本部長代理)と説明した。
東電は試算結果を今年3月7日になって保安院に報告した。保安院は東電に対し、試算結果を反映した耐震安全性評価報告書を提出し、早期に設備の改修などの対策をとるよう口頭で指導した。実際には4日後に震災が起き、対応できなかった

【まるで「罪の意識」ゼロ、日本政府がモーリシャス重油流出に無関心なワケ】2020.9.8現代ビジネス
、フランスは、1978年にフランス沖で座礁したタンカー「アモコ・カディス号」から大量の油が流出した事故を教訓として、海洋汚染事故に備えて、国内や海外領土に油を吸着する資材などを備蓄しているという。
 これに対し、日本政府は8月10日に緊急援助隊の第1陣6人、19日に同第2陣7人を派遣した。しかし、流出した重油の回収の全面支援を公約したフランス政府と比べると、その存在感はまったく比較にならず、現地や周辺国のメディアがモーリシャス政府と日本政府の対応の遅さを厳しく批判している。
 それどころが、東京大田区の資本金5000万円の中小企業「エム・テックス」がクラウドファンディングを利用して、現地の油処理のために「油吸着材」を独自に送ろうとしているのと比べても、日本政府の消極性は浮き彫りといえる。
「民間企業の話」と、しらを切る始末
 そうした中、日本の新聞・雑誌の報道で注目せざるを得ないのが、政府は今回の事故を「民間企業の話」とみなし、政府として協力すべきという意識が欠如していることだ。
確かに、1997年に日本海で沈没したロシア船籍のタンカー「ナホトカ号」の事故では、海上に重油が6200トン流出、その後も海底に沈んだ船体に残された重油の一部が漏出を続けているとされる。こうした過去の海難事故と比べると、わかしおから流出した重油は推定1000トンと物理的に少ないのは事実だ。
 しかし、事故の深刻さは流れ出した重油の多寡では決まらない。今回は、観光に大きく依存するモーリシャスの国家経済や国民の暮らし、環境、貴重な生態系を揺るがせる事故で、広く報じられて国際社会の関心も高い。
 実際、首都ポートルイスでは8月29日、大規模な抗議デモが発生、ロンドンやパリでもデモが起きている。世界中の関心が集まる事故だということを十分に理解する必要がある。
町田 徹(経済ジャーナリスト)

【重症障害者の生活支援へ 県、グループホーム整備に助成】神戸新聞2019.2.20
兵庫県は2019年度、重症心身障害者らが暮らすグループホームや通所・訪問事業所への助成制度を新たに設けるほか、リハビリテーション拠点を整備する。早産児や低体重児、病気のある新生児らは救命された後も、自宅療養で人工呼吸やたんの吸引が常時必要になるケースがほとんど。こうした「医療的ケア児」と呼ばれる子どもは、移動や食事などで大きなハンディと向き合って成長する。社会との接点を確保し、看護する家族の負担も和らげるため、家族が亡くなった後も含む居場所づくりと生活支援に取り組む。(佐藤健介)
 県が整備を促すグループホームは「医療支援型」と銘打ち、看護師が常駐するのが特徴。運営者に対し、ベッドからの移動をサポートする介護リフトや非常用自家発電機の費用について上限付きで半額を補助するほか、看護師の配置体制に応じた助成も用意する。
 保育士や介護士らの指導で識字や計算、体の動きを訓練する事業所を増やすため、未設置市町での新設費を助成。民間運営者に年間利用実績などに基づいて補助金を出す。家から通う「重症心身障害児通所支援事業所」と、外出が難しい場合に家でサービスを受ける「居宅訪問型児童発達支援事業所」が対象となる。
 重症心身障害の要因として最も多いのが脳性まひで、筋肉の過剰な緊張などによって肢体が不自由になるリスクがある。幼児期だけでなく、成人期もリハビリが必要だが、年齢を問わず受け入れる医療機関は県内5カ所にとどまり、人口規模の大きい阪神地域にはない。そこで、尼崎だいもつ病院(尼崎市)の空きスペースに全世代対応のリハビリ拠点となる県立診療所を開設。19年度は相談活動を行い、20年度から理学療法士によるリハビリ治療を始める。
■医療的ケア児年々増加■
 人工呼吸器を装着し、栄養を胃ろうで体内に送り、たんを機械で吸い取り、管で排尿させる。そうした医療行為を日常的に要する子ども、いわゆる「医療的ケア児」は年々増えている。
 医学の進歩で出産時の救命率が向上する一方、残った障害や病気とともに生活するケースが多くなっているからだ。厚生労働省の推計によると、全国で1万8千人と最近10年間でほぼ倍になり、兵庫県内でも800人以上いるとされる。
 「ケアができる人材がいない」「事故が起きても責任を取れない」との理由で、保育所や学校園の受け入れは進まず、日中を過ごす場が不足。看護を24時間担う家族は疲弊にあえぐ。
 県予算では、読み書きや基本動作を教える通所・自宅訪問事業所への助成で新設を促進。リハビリ拠点は、肢体不自由者の加齢とともに診療報酬が少なくなり、施設によっては施術しないという課題を受けた対応。
 医療型グループホーム整備・運営費を補助するのは、既存の療養所には重症者が長く入るため、空きが少ないことが背景にある。
 ケア児が成人し、家族が年老いても、地域で安心して暮らせる環境づくりが急務だ。(佐藤健介)




【障害児通所施設で中3女子を殴った疑い 施設長ら逮捕】朝日新聞9/7(月) 18:57配信

障害のある子どもたちが通う施設内で利用者の女子中学生を殴るなどしたとして、兵庫県警は7日、施設長の戸嶋清(45)=神戸市須磨区=、施設職員の長谷川聡(51)=神戸市兵庫区=の両容疑者を暴行容疑で逮捕し、発表した。戸嶋容疑者は「はっきりと覚えていません」、長谷川容疑者は「暴力はふるっていません」と、ともに容疑を否認しているという。
 神戸北署によると、この施設は、障害のある子どもたちが学校時間外に使う放課後等デイサービス施設「HOALOHA(ホアロハ)」(神戸市北区)。戸嶋容疑者は6月25日午前、利用者で身体障害と知的障害のある中学3年の女子生徒のほおを手で複数回殴った疑いがある。長谷川容疑者は5月14日午後、この女子生徒の足を蹴った疑いがある。いずれもけがはなかった。
 施設を指導・監督する神戸市から9月4日、署に相談があったという。市によると、7月末時点の施設利用者は14人。
コメント:
①許せない。被害を家族に直訴出来る児童もいる。障害児が暴力などの被害で二次障害になったらより家族とか大変な思いを先々します。だから、二次障害にさせないように対応に苦慮しながら育ててる。衝動性が強いタイプ、言葉が出ない子供、理解力が狭い子供とか居て対応が大変だったりするのもわかります。けど、そうした子供が通う場所です。対応が難しいなら閉園すべきでは?障害児を持つ親として許せない。
②自分の知りあいが入所してたところでは、一人の職員が見えないところで利用者の頬を平手打ちしたり、洋服で見えない場所をつねったり、椅子の脚で足の甲を押し潰し痣をつけたりしていた。明るみになってクビになり、施設長は降格になった。確かにこういう卑怯な輩は残念ながら存在する。
だが、殆どの介護者は利用者やその家族のことを真剣に考え、薄給なのを度外視して奮闘してくれている。
一部の不適格者の為に、真摯に取り組んでくださっている方々が浮かばれない世の中にしては絶対にいけないと思う。
こういう輩には是非とも刑事罰を!
③放課後デイって一時期、急速に増えましたよね。
高齢者福祉より介護が軽いし、その上に儲けになると思って始めるんでしょうけど、福祉に志しのない人が運営できるほど甘い世界じゃない。
設立時点でもう少し審査を厳しめにしてもらえないものか
④健常児なら、保育所などの課題、学童保育の課題を経れば、
中・高は本人でクリアできます。
一方、障がい児は高校まで、放課後について、何がしの支援が必要になるケースがあるわけで。
そのニーズを補完するために数年前に「放課後等デイサービス」が始まりました。当初は成り手を作るために、単価報酬は高く、ゆるい基準でした。
プロでない人が参入しやすくなったこと、数年経って表面化した問題です。今後どんどんこういった事例が出ると予想します。
⑤同じ仕事をしてる者としてこのニュースは残念で仕方ありません。まず大前提に障害があろうがなかろうが暴力は絶対にあってはならない。
仕事中子どもに引っ掻かれたり、つねられたりするのはありますが、それはやってはいけない事と言葉や絵カードで根気強く教えていってます。
障害がある子は個性があってとても可愛いし、やりがいのある仕事です。頑張ってる施設もある中、とても悲しいです。




【いわき母子4人刺殺 緑川被告は公判で「事件という気がない。後悔ってのはないです」】デイリー新潮8/28(金) 5:58配信
 美奈子さんは、緑川被告の経営していたリフォーム会社の元従業員である。徐々に親密になり、休日や年中行事を一緒に過ごすようになる。緑川被告は、今回の事件の被害者となった子供たちの世話もするようになった。お互い離婚した後は、さらに関係を深めていったという。
 2017年5月頃、緑川被告の住むアパートの隣室に美奈子さん家族が引っ越してからは、各々の部屋を行き来しながら食事や寝泊まりを共にし、生活費も譲り合うようになった。
「無責任な発言かもしれませんが、事件という気がない。みんなであの世に行こうと思ってやったという形、大きな事件という意識は……。あのとき、皆で一生懸命考えて、決めてやったこと。後悔ってのはないです」
 被告人質問の冒頭、弁護人から事件についての思いを問われ、緑川被告は訥々と語った。心中は皆の総意であるという主張だ。緑川被告によれば、この決断の背景には美奈子さんが抱えていた2つの問題があったという。
 美奈子さんはこの十数年ほど経済的に余裕がない生活が続いたが、昨年2月に配送センターのパートタイム勤務となってからは、仕事のストレスも抱えるようになった。加えて、同年11月の児童扶養手当法改正により、美奈子さんが受け取る児童扶養手当が減額となった。

【不登校、家庭内暴力…増える子の「心の病」に対応 兵庫の病院に「児童思春期病棟」】神戸新聞
8/27(木) 16:00配信
兵庫県姫路市の高岡病院(精神科)に、子どもの精神疾患に対応する「児童思春期病棟(30床)」ができた。子どもの「心の病」は増加傾向だが、入院設備を備えた児童精神科病院は県内でも数少ない。不登校、うつ病、ゲーム依存、強迫性障害、摂食障害、PTSDなどの小中学生らに対し、医師、看護師、臨床心理士らのチームが一人一人の背景を探り治療を続ける。同病院の中島玲医師や医療スタッフに取り組みなどを聞いた。(中部 剛)
不足する専門医
 近年、児童精神科への注目度は高い。昨年、高岡病院への中学生以下の新規患者は年間240人に達し、再診を含めた受診者は延べ3千人。予約は1~2カ月待ちの状態で、一時は予約受け付けを停止していたほどだ。半年から1年待ちという病院もあるという。
 こんなデータがある。文部科学省によると、特別支援学級に在籍する2018年の「自閉症・情緒障害」は約12万3千人と全在籍者数の5割弱。08年と比べると、「自閉症・情緒障害」は2・8倍に上る。厚生労働省のデータでも24歳以下の精神疾患の患者数は36・8万人(14年)で、1999年のほぼ2倍。だが、専門医は不足しているという。児童精神科の医療スタッフは、院内の治療だけでなく、学校や行政、福祉関係者らとの連携が必要となり、負担は大きい。
イメージは「家族」
 高岡病院では2007年から児童精神科外来に取り組んでいるが、ニーズの高まりから新病棟建設に着手。6月から運用している。
 新しい病棟は、木目調で天井には大きな葉の模様。ハワイの言葉で「家族」を意味する「OHANA」と名付けられた。30床の個室に院内学級、ラウンジ。緑色をたっぷりあしらったデイルームがあり、病院というイメージではない。
 学校でのトラブルや不登校、家庭内暴力などで、家族と暮らしていくことが困難になった子どもたちが入院する。リストカットや大量の服薬経験のある子どももいる。医師、看護師、ケースワーカー、心理士らのチームで対応していく。子どもたちに寄り添い、頑張るべき場面では背中を押す。病棟の浅田雅子看護課長は「一人一人に、温かな医療や福祉を提供していきたい」と話す。
早期発見が重要
 入院は、1週間で終わる患者もいるが、1年を超えるケースも。中島医師は「個々の発達状況や特性に合わせて退院に向けた計画を立てる」と話す。
 例えば、家庭内暴力で児童が入院すると、なぜ、暴力という表現に至ったのか、面接や日常生活の行動観察、成育歴の聞き取り、発達検査、心理検査を組み込んで背景を分析する。
 中島医師は「感情をうまく言葉に出せず、暴力につながってしまうことがある。感情を言葉にすることができるようになれば、学校や家庭生活が変わってくる。気持ちのクールダウンの方法も教える」。入院中、母親ら家族へのサポートも重視する。
 また、発達障害などを早期に見つけだすことで、不登校、暴力行為、うつといった2次障害が予防ができるといい、中島医師は「1歳6カ月児健診や3歳児健診の精度を上げていくことが重要」と指摘している。


【親との“絆”感じられない「愛着障害」 問題行動や学習意欲低下も・和歌山大教育学部・米澤好史教授よねざわ・よしふみ】時計2018/10/14 12:26神戸新聞NEXT
専門は教育心理学、臨床心理学など。臨床発達心理士スーパーバイザー、学校心理士スーパーバイザーも務める。乳幼児から大人までの全体的な発達支援を学校、保育所などに出向き実践。著書に「やさしくわかる! 愛着障害」(ほんの森出版)、「『愛情の器』モデルに基づく愛着修復プログラム」(福村出版)ほか。

 保護者らへの愛着が感じられない「愛着障害」。発達障害と混同されやすく、支援の遅れが課題となっている子どもの愛着障害について、和歌山大教育学部の米澤好史教授が兵庫県加古川市の兵庫大で講演した。要旨は次の通り。(鈴木久仁子)

 愛着とは特定の人との間で結ぶ、情緒的な心の絆のこと。特定の人とは、恐怖や不安から守ってくれてほっとできる人や、離れていても帰って来たら話を聞いて認めてくれる人。そうした人たちとの絆をきちんと結べていないのが、愛着障害だ。愛情が欲しいときに得られず、欲しくないときに無理強いされると、後天的に心理的な問題として引き起こされる。先天的脳機能障害の発達障害とは全く違う。

 原因は愛情の行き違い。両者の関係性の問題だ。施設での養育、産んだ母親の育て方、ひとり親家庭、母親の就労などが原因ではないか-と誤解されることも多いが、いずれも間違い。誰にでも起こり得る。

 家族でも家族以外でも、誰かが母親機能を果たせばいい。母親機能とは、子どもを恐怖や不安から守ってくれて安心でき、落ち着いて癒やされる場所になってくれることだ。産んだ母親と母親機能とは別。保育士でも施設の職員でも親戚でも、子どもと深い関わりのある人なら誰でも担える。

 愛着関係が築けないと、子どもの場合は落ち着きがなく、危険な行動が目立ったり、うそをついたり、自作自演の事件を起こしたりするなど、さまざまな問題行動が認められる。将来的には学習意欲の低下、人間関係のトラブルにつながるケースもある。

 支援の方法はまず、問題行動の原因として愛着に問題はないかと疑い、見極める。時には発達障害と併せ持つこともある。大勢ではなく、誰か決まった人が本人と一対一で対応する。保育所や学校と保護者との連携も大切だ。愛着の修復はいつでもやり直しがきく。

 【罪をくり返す障害者】バリバラTV7月29日(日)夜7:00
刑務所に服役している人の4人に1人に、知的障害などの可能性があると言われている。その多くは、福祉的な支援につながったことがなく、万引きや無銭飲食など軽微な罪をくり返し、その後も刑務所に戻ってきてしまうという。中には人生の大半を刑務所で過ごす人までいる。ハンディがあり、生きづらさを抱え、社会の中で居場所を持てなかった人たち。再犯を防ぐために、なにが必要か考える。
出演者
田村裕さん    (芸人/麒麟)
幸地信一さん   (知的障害)
池田忠男さん   (難聴)
伊豆丸剛史さん  (「長崎県地域生活定着支援センター」所長)
石野英司さん   (「南大阪自立支援センター」理事)
松場邦依さん   (ヘルパー)

刑務所で服役している人の中に障害のある人が少なからずいるという現実は、これまでタブー視されてきた。「障害があること」と「罪を犯すこと」の間に因果関係がある訳ではない。理由として考えられるのが、障害のある受刑者の多くが、万引きや無銭飲食など軽微な罪で服役し、出所後も行き場所がなく、1年もたたずに同じような罪をくり返して刑務所に戻ってきてしまうという事実だ。
全国に先駆けて、罪を犯した障害者の支援を行ってきた伊豆丸剛史さん(全国地域生活定着支援センター協議会事務局長・長崎県地域生活定着支援センター所長)は、「障害ゆえに仕事にも職場にもなじめず、社会の中で居場所を失い、相談できる人もいない人たちのなかには、生きていくために罪をくり返さざるを得ない人たちのいる現実がある。出所後も、支援につながれない社会が、彼らが再び罪を犯してしまう要因。
なぜ支援につながる機会がなかった?~幸地信一さんの場合~の一つ」と話す。
大阪市内の作業所で働く幸地信一さんは、作業所の代表・松場作治さんと12年前に出会うまで、住む場所はおろか、療育手帳も持っていなかった。過去の記憶もあいまい。松場さんが幸地さんと一緒に生い立ちをたどると、出身地・沖縄の中学校で知的障害と判断されていたが、療育手帳をとる手続きをしていなかったことがわかった。15歳から仕事で全国を転々とし、19歳のとき、初めて万引きで警察に逮捕される。以来、万引きや無銭飲食をくり返し、20代で刑務所に服役することに。
それまで家族、教師、警察官や司法関係者など多くの人が、幸地さんと関わってきたはずだ。しかし誰も彼を福祉的支援につなげることができなかった。裁判を担当した弁護士の1人は、取材に対し「障害者だとは思わなかった。一応、『障害の検査を受けたことはあるか?』と聞くと、『ない』と言った。それ以上はとても聞けなかった」と語った。
12年前、松場さん夫婦と出会い、ようやく福祉支援とつながった幸地さん。それで全てが解決する訳ではないが、現在は市営住宅に住み、作業所に通う毎日。この7年間、罪は犯していない。「落ち着いて生活している」と本人も語る。
罪を償った障害者が、地域で生活できるシステムを
ゲストのお笑い芸人・麒麟の田村裕さんは「自分もホームレス体験があるが、記憶がほとんどないということは、よっぽど大変な思いをしたからだと思う」と語る。国も、罪をくり返してしまう障害者の問題を深刻に受け止め、2009年、各都道府県に「地域生活定着支援センター」を設置。罪を犯した障害者らが出所後に地域で生活していけるよう支援する取り組みを始めている。
定着支援の制度で新たな人生~池田忠男さんの場合~
池田忠男さんは難聴で、他人とのコミュニケーションが苦手。孤立しがちでアルコールに依存して職を失い、万引きなどをくり返してきた。しかし4年前に出所した時、大阪府定着支援センター所長の山田真紀子さんと出会い、初めて福祉的支援を受けることになった。山田さんは、かつてクリーニング店で働いた経験のある池田さんに、洗濯を請け負う作業所を紹介した。
しかしある朝、池田さんが作業所に来ない。作業所の職員が池田さんの自宅まで迎えにいくと、「ちょっと頭が痛くて」と言う。どうやら前日に酒を飲み過ぎ、起きられなかったようだ。こうした失敗は今も時々ある。この日は、職員のサポートで、無事、仕事に行くことになった。
池田さんの支援にかかわるのは、定着支援センター、作業所の職員だけではない。相談支援員、医療関係者、ヘルパーなど様々な立場の人たちがチームを組んで当たっている。支援のあり方について話し合うカンファレンスは、チーム全員が集まり、池田さんを交えて話し合う。本人の意思を尊重しながら、それぞれが専門的意見を出し合い、連携して支援を行うことで、安定した生活につなげようとしている。“チーム”で支援をすることで、本人も複数の相談相手ができ、支援する側も長く関わり続けることができるのだ。
支援につなげるための壁をどう打ち破るか
定着支援センターの活動が始まって以来、大阪刑務所でも、障害などがあり出所後の生活に支援が必要と思われる人全員に、福祉的な支援を提案している。しかし本人が「支援を受けたくない」と言えば、再び何の支援につながることもなく出所していく。刑務所がどんなに支援が必要だと考えていても、「本人の同意」がなければ、支援できないという壁があるのだ。
これについて伊豆丸さんは、「これまで支援を受けた経験がない受刑者に対して、どんなサポートが受けられるのか、支援を受けるとどんな生活が送れるのか、具体的にイメージしてもらえるような説明や取り組みが必要」と話す。障害がある人が「理解するための支援」と「自己決定するための支援」が重要なのだ。
それが「被害者も加害者も生まない社会」を作り出す。そのためには、何らかの理由で生きづらさを抱えている人がいる現状を、全ての立場の人が、知っていくことが必要なのだ。
玉木幸則
「行き着くところは社会の障害理解」
今回はあくまでも、地域の支援を受けて何とかうまく生活できてるっていう例やけど、まだまだ、受け入れる社会にも、送り出す刑務所にも、課題がある。そもそも「外の社会より、(自由が全くなくても)3食ご飯が出て、ある意味安定している刑務所の方がマシ」なんていう現状が問題。刑務所は「障害者が再犯しないためのプログラム」を、考えていかないといけない。それに、社会に受け入れられた後も、幸地さんの場合なんかは、次の段階、例えば「こんな仕事に就きたい」「こんな人生を送りたい」っていう希望があった時に、そこに向けての支援があるかどうかが、大事。また「支援」と言うけれど、一人ひとりが抱える生きづらさを、周りのみんなで考えていける社会であるなら、福祉サービスだけに頼らなくてもいいはず。行き着くところは、社会のみんなが障害を理解し、支えていくことで解決していく問題だということ。



【「もしかしてうちの子も?」自閉症や発達障害を正しく理解する方法】ダイヤモンド8/24(月) 6:01配信

自閉症や広汎性発達障害などは2013年から「自閉スペクトラム症(ASD)」という1つの名称で呼ばれています。近年、この有病率は大幅に増加し、さまざまな影響が家庭や学校、職場などに及んでいます。「自閉スペクトラム症 『発達障害』最新の理解と治療革命」(幻冬舎)より一部要約・抜粋して、いくつかのケースを紹介します。(精神科医 岡田尊司)

● 発見は早いほどよい

 自閉スペクトラム症(ASD)は、注意して観察しなければ問題に気がつかない比較的軽度な状態から、かつて「自閉症」と呼ばれた重度な状態までを含む、幅広い概念です。重いケースでは早くから発達の遅れがみられるため、気づきやすいですが、軽度なケースほど見逃してしまいやすいと言えます。

 幼児や低年齢の児童の場合、できるだけ早く診断し、療育(発達のためのトレーニング)を開始することが良好な回復につながるため、気になる症状があれば、一日でも早く診断を受け、療育を開始することをお勧めします。確定診断がつかない場合でも、様子をみるのではなく、積極的に働きかけを行うことが大事です。障害が明らかとなって、診断が確定してからでは遅い場合もあります。

 こうした対応がいまでは徹底され、健診のたびに何か問題がないか、保健師や臨床発達心理士が注意を払うようになり、早期発見につながっています。ただ、ときには希望的観測で、「もう少し様子をみましょう」ということになり、半年、一年、時間をロスしてしまうこともあります。家族としては、できれば障害があるとは思いたくなく、発達の遅れを指摘されても、対応を先延ばしにするという場合もあります。しかし、判断を迷う場合は、むしろ疑って行動するということが、この問題については大切です。

● 発達の遅れがみられたA君の場合

 A君は難産の末に、吸引分娩で生まれました。目の大きな可愛い赤ちゃんでしたが、視線が合いにくく、母親が抱っこしても自分から抱きついてこないので、丸太を抱いているようだったと言います。神経質で、よく泣き、世話をするのが大変でした。話しかけても上の空で、こちらをなかなか見てくれません。光るものに興味があるのか、天井の明かりばかり見ていたそうです。歩き出すのもやや遅く、言葉もなかなか出ませんでした。

 一歳半健診のときに、少し遅れていると言われましたが、もう少し様子をみましょうということになりました。しかし、二歳になっても言葉が出ず、不安になったお母さんは発達外来を受診し、検査の結果、社会性や言語に遅れが目立ち、運動や認知の面でも、やや遅れが認められると告げられたうえ、すぐに療育を始めることを勧められたのです。

 市の療育に加えて、専門機関でのトレーニングを受け、そこで指導された方法で家庭でもトレーニングを続けた結果、小学校に上がる頃には、社会性や言語の面では、ほぼ遅れを取り戻すことができました。

● 言語的、知的遅れがみられるカナータイプ

 A君のように言語的な遅れや発達全般の遅れが目立つタイプは、アメリカの精神科医レオ・カナーが最初に報告したことから、「カナータイプ」と呼ばれます。適切なトレーニングを行わないと、コミュニケーションや社会性、知能に重い障害が残りやすいタイプです。同じ行動を繰り返したり、一つのことにしか関心がなかったり、過敏だったりといった症状も強くみられることが多く、決まりきった生活パターンを繰り返している範囲では安定していますが、それが少しでも乱されると、パニックを起こしやすいのです。
 回復が非常に難しいとされてきましたが、ブレークスルーとなるアプローチが見出され、予後は格段に改善しています。中には、まったく健常な子どもと変わらないレベルにまで回復するケースもあります。
2.
軽症の場合は見逃されやすい

 発見が遅れやすいのは、運動や言葉の発達に遅れがみられないケースです。学童期に不適応を起こして、ようやく気づかれることが多く、中には大人になっても気づかれないまま放置されているケースも少なくありません。

 自閉スペクトラム症についての認識があまりなかった時代には、知的遅れなど、目立った発達の遅れがないケースは、ほとんど診断から漏れ、いまでは五十代、六十代に達していることも多いのです。約三分の二から四分の三のケースが見逃されていると言われています。昇進して、リーダーシップが求められたり、結婚してより深いコミュニケーションが求められるようになって、初めて問題の存在が浮かび上がることもしばしばです。また、女性のほうが元々応答性や社会的スキルが高いこともあり、ASDの症状があっても、男性よりマイルドなことも多く、気づかれにくいのです。

 見逃された多くのケースは、問題が表面化しないまま暮らしている場合もありますが、少なからぬケースが何らかの困難を抱え、別の診断をつけられています。多いのは、「適応障害」「うつ」「不安障害(社交不安障害や強迫性障害も含む)」、回避性などの「パーソナリティ障害」です。最近は、「ADHD」と診断されているケースも目立ちます。

● 成績優秀なB君の場合

 成績優秀だが、友人とのコミュニケーションで躓いたB君は、幼稚園に上がるまで、特に発達上の問題を指摘されることもありませんでした。好奇心が旺盛で次々と新しいことを知りたがり、覚えがよいので周囲も驚くほどでした。ところが、幼稚園に通い始めると、母親と離れることへの不安が強く、同年代の子どもとなかなか一緒に遊べませんでした。運動も苦手で、かけっこはいつもビリ、お遊戯やダンスのときは他のことをしていました。

 小学校入学後も特定の友だちができず、話にもうまく入っていけませんでした。先生からの指示を聞いていないことも多く、学校からの配布物もまったく管理できなかったと言います。それでも、テストの成績は優秀でした。将棋が得意で、大きな大会で入賞したこともありました。

 中学受験をして難関校に進学しましたが、学校になじめず、その頃から母親への暴力がみられるようになったのです。結局、公立中学に移りましたが、そこも合わず、不登校になってしまいます。

 筆者のもとにやってきたときは、通信制高校に在籍していましたが、すっかり自信をなくし、ゲームに溺れることで気を紛らわしている状態でした。音やにおいへの過敏さや頻尿のため、年に数回ある授業や試験を受けることさえ困難でした。

 そこで、過敏さを改善する治療やカウンセリング、SST(社会技能訓練)に取り組みました。この頃初めて、自分の関心と他者の関心は異なり、他者の関心にも興味を示さないと、誰も相手にしてくれないことを知ったと言います。徐々に明るさと自信を取り戻し、自らの意思で大学受験にチャレンジしました。驚いたことに、誰も期待していなかった難関大学に合格。その大学で初めて友人ができたのです。いまは彼女がほしいということでした。
3.
言葉や知的遅れのないアスペルガータイプ

 B君のように、言葉の遅れや知的能力の低下がないASDを、「アスペルガータイプ」や「アスペルガー症候群」と呼びます。アスペルガータイプは、理屈っぽかったり、口が達者だったりして、コミュニケーションの問題に気づかれにくい場合もあります。しかし、よく観察すると、話が一方通行で、独演会になってしまい、本来のコミュニケーションになっていないことがわかります。症状は比較的軽度ですが、同じ行動パターンや狭い関心へのとらわれがみられたり、過敏な傾向があったりします。

 知的能力や記憶力が優れている場合には、成績は問題ないか、むしろ優れているというケースもあります。社会的スキルの面でも、状況に応じた受け答えを覚え、場面に応じていくつかの会話パターンを使い分けることで、何とかボロを出さないようにしていたりしますが、やりとりがぎこちなかったり、かみ合わなかったりします。

 自分の考えややり方に頑固なこだわりをもち、絶対に曲げないといった点は、得意な領域の専門家として成功や信頼を得ることにつながる場合もありますが、身近で接している人にとっては、やりにくい面をもっていると言えます。

 また、せっかく難関校に入学したり、一流の大学や大学院に進んだのに、コミュニケーションや社会的スキルの点でうまくなじめなかったり、就職に躓いたりというケースが昨今、多くなっています。

● 適切な自己理解が救いとなることが多い

 ASDを抱えた多くの人が、自分自身や自分が生きている世界に対する違和感をもち続けています。生きることが、心地よさや楽しさよりも、苦痛や不安に満ちた体験として感じられることが多いのです。そんな漠然とした生きづらさを誰とも共有できず、ひとりぼっちで苦しんでいます。うまくいかないことで自分を責めたり、自己否定に陥っていることもしばしばです。

 なぜ自分は人とうまくやれないのか、なぜ人は自分をわかってくれるどころか、蔑んだり、仲間外れにしたりするのか。それは、自分が誰からも愛されない、不愉快な人間だからなのか。嫌われて当然の、性格の悪い人間だからなのか――。自我に目覚めた頃から、そんなふうに思い続けてきたことへの、一つの明白な答え、もちろんそれはその人の特性の一部に過ぎないにしても、長年の苦しみの原因となってきた特性について、その正体を知ることは、多くの場合、救いとなります。

 ただ、そのことを知らせるタイミングは、一方的なものであってはならないでしょう。自分の特性に向き合う時期というものがあります。本人が知りたいと望んだとき、それに対する一つの答えとして伝えるというような相互的なかかわりの中で、診断が伝えられれば、本人も受け入れやすく、その後の成長にもつながるように思います。そのときが来るまでは、得意・不得意の特性として理解するほうが、害がないですし、現実にもマッチしています。
4.
偏見から守るためにも

 自分やわが子が「障害」と診断されることに、衝撃や抵抗を覚えることは当然です。特にみんなと同じでないことが、すぐにからかいや排除のきっかけとなり、みんなと違うということに強い不安や警戒心をもってしまう社会では、「障害」に対するネガティブなイメージが強いと言えます。障害に対する理解が進んだとは言え、障害を蔑みの代名詞のように使う場面に、いまでもしばしば出くわします。

 ただ、そうした愚かな偏見や無知に打ち克ち、正しい理解を広めていくためにも、まず自分自身や身近な存在が、その人が抱えている困難をきちんと理解し、受け止めていく必要があります。その人自身や家族が「障害」に怯えているとしたら、それはつまり偏見の側にいるということです。その状況を脱して、ありのままの現実を受け止めるということが、まず出発点となります。

 ASDに対する偏見や誤解が、しばしば過酷なイジメや迫害につながりやすかったのは、ASDの特性が、性格や人格の問題と同一視されてきたからです。過敏さにしても、同じ行動パターンへのこだわりや融通が利かない傾向にしても、また相手の気持ちや場の空気を読み取るのが苦手な点にしても、自分勝手であるとか頑固であるとか思いやりがないといった性格的欠点として受け取られ、人格の問題であるかのようにみなされやすかったのです。

 すれ違っても挨拶もしないとか、話しかけても返事もしない、こちらが困っていても協力してくれないといったことが悪気なく起きてしまうこともあります。そんなとき、どういう特性がそういう反応につながってしまうのかを知っていれば、受け入れやすいと言えます。しかし、特性についての知識がないと周囲に無用のストレスを生み、それが周りからの反発や否定的評価、イジメにもつながるのです。その意味でも、特性についての知識と理解を広めていくことは、偏見や否定的評価、さらにはイジメを防ぐことにもつながるでしょう。



【判決確定から10年…川崎協同病院事件の医師が見た終末医療の今】女性自身8/21(金) 11:34配信
「女性自身」2020年9月1日 掲載

難病に苦しむ患者たちに、医療関係者に、大きな衝撃を与えた2人の医師によるALS女性への嘱託殺人事件。逮捕、起訴された2人をかばう声も少なくない。はたして過去に延命治療の中止によって殺人罪に問われたことのある女性医師は今回の事件をどうみたのか。本人に思いを聞いたーー。
《医師は長くて1年、突然急に悪くなることもあると言うからそれに期待するしかない 確実に苦しくなってる 早く早く、、して》
ブログやSNSを通じて悲痛な叫びをあげ続けていた、難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性患者(当時51)が、医師によって殺害された。
7月23日に嘱託殺人容疑で逮捕されたのは、呼吸器内科医の大久保愉一容疑者(42)と、泌尿器科医の山本直樹容疑者(43)。2人は死を望んでいた被害女性とコンタクトを取り、昨年11月30日に訪問。薬物を投与して女性を殺害したのだ。
両容疑者は8月13日に起訴された。今後は法廷で、犯行の詳細と彼らの死生観が検証されることになるが、これまで明らかになっている両容疑者の発言やネット上の書き込みなどによると、自らの行為を正しいものと思っていた可能性が高い。
「しかし、どんなに正当化をしようと、今回の事件は医療とは言い難い行為です。金銭のやりとりがあり、主治医でないばかりか、SNS等でのやりとりのみで、患者やその家族との十分なコミュニケーションが取れていたとは思えません」
そう語るのは、かつて終末期医療で殺人罪が確定し、2年間の医業停止処分を科された大倉山診療所の院長で、呼吸器内科医の須田セツ子さん(65)だ。
「ご本人に精神的な苦痛があったことは理解できます。ALSは体を動かすさまざまな筋肉が徐々に衰え、やがては寝たきりになり、食べること、呼吸することすらできなくなる神経難病です。脳梗塞や脊椎損傷とは違い、動かない場所の感覚がクリアなことが特徴です。患者だけでなく、家族や周囲の負担も大きいため、生きることに絶望する患者さんも少なくありません。しかし、今回のケースでは、肉体的には生きる力があった。にもかかわらず、薬物で殺害する行為は、自殺を望む人に手を貸して死に至らしめたということです」
延命治療を施さずに緩やかに死を迎える「尊厳死」は日本でも受け入れられつつあるが、今回は薬剤投与という積極的な方法による死である「安楽死」とみられ、日本の法律では容認されない行為だ。
須田さんは「私が偉そうに意見できる立場ではありませんが……」と前置きしながらも、殺人罪に問われ、終末期医療のあり方に一石を投じた「川崎協同病院事件」を振り返りつつ、その胸中を語ってくれた。
須田さんは、大学卒業後、研修医時代も過ごした川崎協同病院の呼吸器科で勤務していた。公害による気管支ぜんそく患者の多い病院で、Aさんもその一人だった。
「外来診療で主治医を務めていました。そのAさんが’99年11月2日に重い発作を起こし、意識不明の状態で搬送されたのです」
懸命の救命処置を行ったが、Aさんは15分にわたる心肺停止状態で、脳に重大なダメージを受けている可能性が強く、容体が安定しても植物状態か、重大な障害が残ることが予想された。
「意識不明とはいえ、痰がつまれば苦しそうな咳を出すし、頬にすっと涙が伝います。これ以上の延命をするのか、ご家族とも話し合う必要を感じました。Aさんの妻も『子ども夫婦は孫の育児に追われ、看護することが難しい。施設に入れるにも、経済的余裕はない』と、不安を抱えていました」
搬送から2週間後の16日、妻が「抜管してほしい」と訴えてきた。自発呼吸ができていたため、人工呼吸器は外されていたが、気管にはチューブが差し込まれた状態。抜管すると気道をふさいだり、痰が吸引できず、近い将来、Aさんの死が訪れる可能性が高い。
カルテにも、須田さんは《家族の抜管希望強し。大変辛いが夕方、家族が集まってから抜管することとする》と書き込んでいる。
「そのときは、抜管で急変するとは考えておらず、ゆるやかに死に向かうと思っていました」
ところが抜管後、Aさんは苦しそうに体を反らせ始めた。
「病室にはご家族が10人くらい集まり、小さなお孫さんもいたので、苦しみを取るように鎮静剤を投与したんです。その後も、ゴーゴーという苦しげな呼吸が続いたので、同僚医師に相談して筋弛緩剤を少量ずつ点滴で投与。Aさんの呼吸が次第に弱まり、死亡を確認しました」
その3年後、一連の行為をした須田さんが殺人容疑で逮捕された。
「患者さんが苦しむことが予想できなかったことは申し訳ないですが、私の行ったのは医療であるという信念があります」
11年もの歳月をかけ、最高裁まで争ったが、殺人罪が確定。しかし量刑は懲役1年6カ月、執行猶予3年と非常に軽かった。判決文にも《この問題は、国を挙げて議論・検討すべきものであって、司法だけで抜本的な解決が図れるような問題ではないのである》とあるように、最高裁にとっても苦渋の決断だったことがうかがえる。
だが、この判決後に、尊厳死や安楽死が日本でしっかりと議論されてきたとは言い難い。
「延命治療を選択しても、日本は医療費が安いため、経済的な負担は重くありません。加えて、患者も亡くなりませんから、延命治療という選択は家族や医療従事者への精神的な負担も軽い。とりあえず“延命”という選択が当たり前だったため、尊厳死などを、あまり深く考える機会がなかったという側面があるのだと思います」
それでも、須田さんは終末期の在宅医療を行う患者や家族と向き合い続けたという自負がある。だからこそ訴える。
「たとえば、延命効果のある胃ろうや人工透析、人工呼吸器などの取り外しに関しても、そろそろ本音で議論すべきです。現状、一度つないだ延命装置を外すのは、殺人に問われる恐れもあり、医療現場ではちゅうちょされる行為。その結果、積極的な医療に踏み出せない。ALS患者は、7割が人工呼吸器を拒否、つまりその後の死を選択しているのです」
医療の進歩により“死なない社会”が加速するなか、どのように尊厳ある、自分らしい死に方を迎えればいいのだろうかーー。

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【生活保護発足から70年、「無差別平等」の救済精神はまだ生きているか】ダイヤモンド8/14(金) 6:01配信 (フリーランス・ライター みわよしこ)

● 生活保護制度は最初から 文字通りの「無差別平等」だったのか
 2020年は、1945年8月の終戦から75年目、1950年に新生活保護法が施行されてから70年目の節目にあたる。改めて、生活保護制度が生まれた経緯を検証しよう。
 一般的に「生活保護法が施行された」とされている1950年までを、教科書的に時系列で整理すると、以下の通りである。
 ・1945年8月15日 終戦、日本はGHQ占領下に
 ・1945年12月8日 GHQ指令(SCAPIN404「救済ならびに福祉計画の件」)により、国家責任によって生活困窮者を無差別平等に救済する法を定めることが指示される
 ・1946年2月27日 GHQ指令(SPAPIN775「社会救済」)により、「公的責任の原則」「無差別平等の原則」「救済費非制限の原則」を含む公的扶助を実現することが指示される
 ・1946年10月 旧生活保護法施行
 ・1947年5月 日本国憲法施行
 ・1950年5月 新生活保護法施行
 大学などで社会福祉を学ぶ人々のための教科書には、おおむねこのように記載されている。高校までの社会科教科書に、社会保障に関する詳しい記述があるとすれば、やはりこのような内容となるだろう。そしてこの時系列から、通常は「GHQが、普遍的な差別禁止と平等をもたらした」と理解されるだろう。
 それは「誤り」というわけではない。現在の生活保護法に含まれている無差別平等原則は、普遍的な差別禁止や人としての平等を基本としている。しかし、「最初からそうだった」と理解するのは早計だ。カギは、「無差別平等」という用語にある。
● 「無差別平等」原則が向けられた 「差別」と「不平等」とは
 「無差別平等」がキーワードになるということは、解消しなくてはならない「差別」や「不平等」があったことを示している。公的扶助には、どのような「差別」や「不平等」があったのだろうか。
 戦前の日本には、現在の生活保護のような公的扶助制度が存在しなかったわけではない。明治維新直後の1874年には、江戸時代の彦根藩に存在した「御救米」をヒントとして全国の制度とした「恤救規則」が施行され、最低限の救済が制度として発足している。
 また1929年には、大恐慌を契機として、社会保障制度としての「救護法」が整備され、1932年に施行された。内容の骨格部分は、大日本帝国憲法下の法律であったことを除くと、ほぼ現在の生活保護制度と同様である。
 救護法の運用や給付水準は道府県に任せられており、国は給付の上限を定めていた。当然のこととして、その自治体の財政上の都合によって、制度があっても実質的に使えない場合があったり、使えても水準が低すぎたりすることがあった。
 また、権利性が保障されているとは言えず、救済対象にしない条件(欠格条項)も定められていた。「働けるのに働かないのなら救済しなくてよい」という考え方は、救護法においては“正義“であった。
 並行して、戦前の日本には傷病を負って帰還した兵士や軍人とその家族、戦死した兵士や軍人の遺家族に対する公的扶助が存在した。第一次世界大戦に際しては軍事救護法(1917年)が施行され、日中戦争の長期化に伴って軍事扶助法(1937年)へと発展した。運用や給付水準は道府県に任せられており、寄付を募って予算の不足を補わざるを得ない自治体も存在した。
 また、給付を返上して働く人々を美談の主人公として、利用抑制が行われたりすることもあった。まるで、2020年現在の日本のようである。
2.
軍事扶助法の給付水準は、救護法よりは高かったのだが、戦争による傷病や戦死という犠牲に対して十分であったかどうかは疑問である。制度が発足した1937年には「1人1日あたりの生活費は35銭」という給付基準が定められており、おおむね「1人1カ月あたり10円」であった。
 とはいえ、「当然の権利」という色彩は、救護法に比べて強められていた。「国のために戦って健康や生命を失った人と、その家族」と、「単に、生活に困窮しているから救済しなくてはならない人」の間には、当時の人々が納得する「差」が設定されていたわけである。
 いずれにしても、「GHQが日本を占領するまで、日本に公的扶助はなかった」とは言えないだろう。そして「無差別平等」原則がなくそうとしたのは、軍事扶助法と救護法の間の「差別」であった。
● 「無差別平等」の「無差別」とは 誰を差別しないことだったのか
 1945年8月15日、敗戦とともに、「お国のため」や「名誉の戦死」という考え方が消滅することとなった。さらに、同年12月にGHQが発した指令(SCAPIN404)は、国家責任によって生活困窮者を無差別平等に救済する法を定めることを指示した。
 この指令が意味するのは、まず日本の生活困窮者に対して、文字通り差別せず平等に救済することである。終戦当時の日本の状況が続くと、1000万人の餓死者が発生するであろうという予測もあった。救済は、喫緊の課題だった。
 同時に、旧軍人・旧軍属、および家族や遺族を特別扱いしないことが求められた。軍事扶助法による給付や軍人恩給がなければ生活に困窮するのであれば、その他の生活困窮者と同様に「無差別平等」に救済すべし、ということである。
 このようにして1946年、旧生活保護法が成立した。旧生活保護法には欠格条項など救護法の色彩が色濃く残っていたが、運用と費用は国家責任とされた。同時に救護法と軍事扶助法、さらに軍人恩給が廃止された。
3.
1947年には日本国憲法が成立し、基本的人権の尊重が明文化され、生存権も明記された。このことを反映し、さらに近代国家にふさわしい社会福祉制度とする意図のもと、生活保護法の改正が検討され、1950年に新生活保護法が施行された。そして「無差別平等」というキーワードは、憲法に含まれる基本的人権や生存権に対応するものとして“換骨奪胎”され、生活保護法の中に生き残り、現在に至っている。
 なお軍人恩給は、占領期が1952年に終了すると、その翌年の1953年に復活した。
● 「教育は義務教育まででいい?」 生活保護と教育をめぐる占領期の議論
 旧生活保護法が成立した1946年から、軍人恩給が復活する直前の1952年まで、生活保護制度の対象となる人々には、旧軍人・旧軍属およびその家族や遺族である生活困窮者と、それ以外の生活困窮者の両者が含まれていた。旧軍人の家族には、当時としては高い教育を受けたり受けつつあったりした人々も少なくなかった。
 具体的に言うと、高等女学校を卒業した旧軍人の妻や、その子どもたちである。1948年に新制高校が発足すると、旧制中学校や高等女学校の新3年生相当までが義務教育の中学生、新4年生・新5年生は義務教育ではない高校生相当となった。
 日本国憲法第25条のいう「健康で文化的な最低限度の生活」を文字通りに解釈すると、「教育に関しては義務教育まで」ということになるだろう。果たして、それで良いのだろうか。当時の厚生省内でも激しい議論が行われ、結局は「義務教育に限定」ということになった。厚生省内には、政令によって義務教育以外の学校教育を「妨げない」とする案もあったが、法律の条文そのものによって「生活保護で義務教育より高い教育を受けてもよい」とする道は、このときに断たれたのである。
 当時の議論の対象となっていたケースの1つは、新制高校以上の学校に在学している子どもを含む一家で、保護者の急死によって生活困窮した場合、「生きるために生活保護を利用するのなら、学校は退学しなくてはならないのか」という内容である。その子どもが高校3年生で、あと半年で卒業できるのであれば、卒業してもらって有利な就職をしてもらう方が、本人にとっても家族にとっても公共にとっても「お得」である。
 さて、こうした場合、卒業まで在学する権利を法で保障するべきか。それとも法では認めず、「自立の助長のためには卒業してもらうべきだから」という特例として認めるべきだろうか。
4.
結論としては、法では認めないこととなった。そうした理由として、当時の厚生省保護課長だった小山進次郎氏は、「社会福祉ということだけを考えた場合には適当であろうが、社会保障という見地から考えた場合にはいささか行きすぎであり、最低生活保障法としての本法の建前を乱す虞れあり」という批判が強かったため、と述べている。
 ちなみに本事例は、「大学在学中」と姿を変えて、現在も生活保護制度の公式ルールブックに残っている。
 戦後、義務教育は無償となったが、給食費が支払えないため学校に行けず、長期欠席となる小学生も多かった。生活保護の対象になれば、義務教育の給食費は保護費から給付されるが、生活保護の負のイメージを嫌って申請しない保護者も多かった。救済に優先順位をつけるとすれば、新制高校生よりは、給食費未納のため小学校に行けない子どもたちであろう。
 このようなことから、小山氏は「(筆者注・その時点では)我が国民の最低限度の教育水準を義務教育以上の線に置くことは困難」と判断し、高校以上の教育については「育英制度の充実」で解決することを期待していた。
 そして、義務教育以降の教育を受けている子どもがいる世帯に対しては、どのような場合にも「退学による問題の解決のみを考えているのだと速断することがあつてはならない」と、社会福祉の制度が子どもの未来を奪わないようクギを刺していた。
● 70年前の日本人のスピリットは 今も生き続けているだろうか
 筆者は、「まるでコロナ禍の現在について書かれているようだ」という錯覚を受ける。「高校」を「大学等」に置き換え、いくつかのキーワードを2020年現在のものに置き換えれば、小山氏が整理した終戦直後の状況は、現在の日本の課題と重なってしまいそうだ。
 75年前の終戦の日まで続いた戦争という犠牲を払って、日本人は結局、何も学ばなかったのか。そうであってはならないだろう。GHQがもたらした「無差別平等」を換骨奪胎して「旧軍人と軍人遺家族を優遇しない」という元来の目的から解き放ち、地球上のどこでも通用する普遍的な人権保障として位置づけし直した70年前の日本人のスピリットは、今の日本を生きる私たちのどこかに残っているはずだ。



【難病の患者も心の中では「本当は生きたい」と叫んでいる】日刊ゲンダイ2020.8/12(水) 9:26配信(佐々木常雄/東京都立駒込病院名誉院長)
【がんと向き合い生きていく】

 地球の温暖化で、南極、北極の氷は解け、豪雨による川の氾濫、山崩れ……わが物顔で地球を開拓してきた人間には「自業自得」が待っていたのかもしれません。
 新型コロナウイルスの感染拡大で、多くの方は今年の暑い夏をイライラして過ごしています。そこに、「嘱託殺人」という事件が発覚しました。難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)だった女性患者(当時51歳)に頼まれ、薬物を投与して殺害した医師2人が逮捕された事件です。医師ともあろうものが、なんということだと暗然とします。
 ALSになった患者は体がだんだん動かなくなってきます。その不安は他人には到底想像もつかない、患者本人にしか分からないつらいことの連続だったと思います。
 かつて、ある医師が私に言った言葉を思い出します。
「がんはいいよね。病気が進んだら死ねるのよ。でも、神経難病は進んでも死ねないのよ」
 殺害された女性患者のブログには、「自分では何ひとつ自分のこともできず、私はいったい何をもって自分という人間の個を守っているんだろう?」とつづられていたそうです。そして亡くなる直前には、「いますぐ死にたい」と頻繁に書かれていたといいます。そして、嘱託殺人を行った2人の医師と連絡をとっていたと報じられています。
 しかし、女性の父親は「弱音を聞いたことはありませんでした。安楽死については、まったく聞かされていないし、相談を受けていたら思いとどまるように説得した。犯人のことは……許せないです」と話されたそうです。
■安楽死を認めるべきとの声もあるが…
 この事件から、「安楽死を認める選択肢を考慮すべき」との意見が聞こえます。しかし、私はそうは思いません。安楽死が認められるようになったら、社会支援がおろそかになり、難病患者が生きにくい環境になるのが心配です。そんな社会が良いはずがありません。「死ぬ権利」を言う前に、みんなが希望を持って生きられる社会をつくらなければならないのです。 そんな中で、ALSを8年前に発症した50歳の女性医師の記事(朝日新聞、8月1日朝刊)を目にしました。
 ◇ ◇ ◇ 
 病気を受け入れるのに4年かかった。自分が無力で価値のないものに思えた。どんどん体が動かなくなるのは、恐怖だし、人生に絶望する。私のせいで家族が今まで通り生活できないのも申し訳なく、生きていること自体が罪な気がし、泣き続けていた。……医師による自殺の手助けが法律で認められていたら、選んでいたかもしれない。
 一方、「子どものために生きなければいけない」と思ったり、介護をしてくれた学生に対し、「この経験が将来役立つだろうな」と誰かの役に立てるという小さな喜びを感じたりと気持ちが揺れた。
 前向きになるきっかけは、24時間ヘルパーを入れて家族に迷惑がかからなくなったこと、視線で入力できるパソコンの導入で仕事や交友関係と世界が広がったこと。ママ友や医療チームにも支えられた。
 ALS患者でも無限に活動的になれる。……大半の医師はこうしたALS患者の心の動きや生き方を知らない。……人間は強い時もあれば弱い時もある。もし、患者が「死なせて」と発したら、なぜそう思うのか寄り添って、耳を傾け、つらいことを解決する手段があれば全力でサポートしてほしい。
 ◇ ◇ ◇ 
 そして同紙の声の欄には、ギラン・バレーで1年間寝たきりだった64歳の方の言葉が寄せられていました。
「患者の心の奥底の『本当は生きたい』という叫びが嘱託殺人の2人には聞こえなかったのか。残念で仕方がない」
 そうなのだ。本当は生きたいのだ。病状が悪化していく中でも、生きることがつらいことの連続でも、それでも生きる価値を見いだし、生き甲斐を感じているのだ。
 殺されたALSの女性への同情、嘱託殺人をした医師に対する非難、安楽死への議論といった報道が多い中で、「本当は生きたい」という思いがつづられたこの2人の記事を読んで、私は少し安堵感を覚えました。


【相談支援事業所が医療・看護と連携しやすい体制を - 障害福祉サービス等報酬改定で日本看護協会が意見】医療介護ニュース8/11(火) 12:46配信
 日本看護協会は、7日に開かれた障害福祉サービス等報酬改定検討チームのヒアリングで、改定に関する意見を述べた。精神障害者が病院から退院後、地域で継続的に安心して暮らすためには保健・医療・福祉の連携した支援が必要との認識を提示。病状の悪化を予防するために相談支援事業所が医療や看護と連携しやすい体制の整備を求めた。【新井哉】

 具体的には、精神障害者の相談支援において、相談支援事業所と精神科医療機関や精神科訪問看護基本療養費を算定している訪問看護事業所が連携した際、相談支援事業所の評価として「精神障害者支援医療連携加算」(仮称)を新設する必要性を挙げている。

 ヒアリングでは、精神障害者にも対応した地域包括ケアシステムの構築により、医療機関から地域への退院が進められていることを取り上げ、「精神障害者は退院後、住まいや就労の問題、人間関係の悩みや不安などから病状が悪化し、退院後の地域での生活日数は1年未満という現状がある」と説明。相談支援事業所による生活上の相談支援に加え、病状の悪化を予防するため、医療者が病状などのアセスメントを行う機会が必要との見解を示している。

【長沼建一郎(ながぬま・けんいちろう)】法政大学社会学部教授
1984年3月、東京大学法学部卒業。日本生命、厚生省(社会保障制度専門調査員)、ニッセイ基礎研究所(主任研究員)、日本福祉大学(教授)等を経て、2009年4月、法政大学社会学部教授。
専門は社会保障法・社会保障論。
主な著書に『介護事故の法政策と保険政策』(2011年、法律文化社)、『個人年金保険の研究』(2015年、同)、『図解テキスト 社会保険の基礎』(2015年、弘文堂)BuzzFeed Japan 2020.8.11.

ーーそもそも過去に介護中の死亡事案について、職員個人の過失が問われる刑事事件はあったのでしょうか?
少なくとも、過去の判例のデータベースである「公刊判例」では見当たりません。
ただ、ネットなどでよく検索すると、入浴介助で溺死させた事案などで、罰金が科された例はあるようです。
ですが少なくとも、誤って食事を気管などに飲み込んでしまったり喉に詰まらせてしまったりした「誤嚥事案」では、刑事事案は過去に例はなかったので、これだけ大きく取り上げられたということだと思います。
ーー今回が稀なケースだとしたら、刑事訴追が介護現場に与えた影響についてどうお考えになりますか?
民事訴訟であれば、割り切って考えれば、事業者が賠償金を支払って終わり、それも保険でカバーできる、ということが言えます。
あくまで、「割り切って言えば」ということですよ。一般の人にとっては、民事にしても、裁判の被告になるということは大変な負担になりますから。
しかし、介護従事者個々人が刑事責任を問われるということになると、懲役刑の可能性もあるわけですし、罰金にしても、一生「前科」がついて回ります。

もちろん医者にしても、教員にしても、そういう場面はあるわけですが、とくに介護については、この事案に類似する事故を考えれば、四六時中、そういう危険性がありうることになります。「普段の介護で職員が刑事事件に問われることもある仕事なのだ」ということになれば、影響は甚大でしょう。

これに比較的近いのは保育士で、乳児も「四六時中、目を離せない」というところがあリます。そういうこともあって保育単価にしても、乳児は格段に高く設定されているところがありますし、議論はありますが、SIDS(乳幼児突然死症候群)という概念も知られています。

ーー介護現場が刑事罰に問われる可能性を恐れて萎縮する、防衛的な介護しかできなくなるということが懸念されています。一審で有罪判決が出た衝撃は大きく、介護を受ける人の自由を制限する方向に進んでしまうということが心配です。

ご指摘の通りです。それこそ胃ろうや身体拘束に傾斜してしまうおそれがあります。

一方で、「見守り不足」でも責任を問われることはあるので、防衛的にやってもダメなときはダメで、まさに「給料が低いのにリスクだけは高い危険職種」ということになってしまうおそれがあります。

ーー海外ではこうした介護中の誤嚥の疑いがある事故が刑事事件として立件されることはあるのでしょうか?

海外で立件されているかどうかはわかりません。そもそも介護事故全般について、なかなか体系的な情報を得るのは困難です。

逆転無罪判決が今後の介護事故に与える影響は?
今回の判決では、過失認定の前提にある危険性を事前に察知できたかという「予見可能性」について、一般的・抽象的な危険性を検討するのではなく、患者の状態や職員の介護体制、食品の形状など、具体的に検討すべしという法解釈を示しています。今後の介護中の事故の過失判断に与える影響をどうお考えになりますか?
「即断できない」としか言いようがありません。なぜかというと、刑事事件だから『具体的な予見可能性』が必要だというのが、今回の判決のポイントだからです。


ですから今後も、もし刑事事件になれば、具体的にどの程度危険を予測できたのかを毎回検討されることが予想されます。というか、刑事事件なら、もともとそのように検討されるはずなのですが、なぜか1審判決ではそうではなかったので、2審がその1審の判断を正面から否定したということです。
他方、この判決が、民事事件にも波及するかどうかは分かりません。民事裁判では、「被害者救済」の要請も大きいからです。
民事については本当に難しくて、刑事事件と同様に過失を厳密に解さないと介護施設には気の毒なのですが、民事賠償であれば、保険でカバーすれば、丸く収まるという面もあって、微妙です。
死亡事故であれば、遺族としては過失が認められないと賠償保険も支払われないので、実際に亡くなっているのに、本当に何もないということになります。実はそこから先は、保険のあり方も絡んで一層複雑な話になってしまいます

利用者の自己決定権と、安全を第一に考えるパターナリズム(父権主義)の関係などと言い出すと、観念的な議論になりそうです。
ただ、安全と自由は二者択一ではないので、その「ウェイトの置き方」について、事前に利用者本人と、家族と、各専門職種とが話し合っておくことが大切だと思います。
急性期医療と違って、介護については、そういう時間は作ろうとすれば作れることが多いです。実際にそうしているところも多いでしょう。
ただそこで、「安全最優先でやりますからQOL低下は甘受してください」か、「QOL重視でやりますので、事故が起きても仕方ないことを了承ください」のいずれかの二者択一で、利用者側に選択を迫るのは酷です。
これは思いつきレベルですが、たとえばアンケート的に、「安全性重視」から「QOL重視」まで、1~5段階ぐらいの選択肢を並べておいて選んでもらう、あわせて特段の要望や事柄があれば聞いておくというくらいが、現実的というか、実際に即しているという気がします。
とくに日本人の場合、アンケートでは中庸に近い選択肢を選ぶことが多いといわれるので、そうでない場合は、強い意向として受け止めることができるでしょう。
もちろんそんな「アンケート」では、事故になって責任が争われたときに、法的に意味がないのではないかと思われるかもしれません。
しかし実際の裁判では、遺族は「誤嚥させるなと頼んだではないか」と激怒し、施設側は「何の依頼も兆候もなかった」と抗弁し、しばしば水掛け論やすれ違いになります。
そんなときに、「そこそこの双方の合意」があれば、紛争を避けることや、紛争時にも「言った・言わない」の争いを避けられるのではないかと思います。
最近、医学的に無意味な延命治療はせずに看取ることが実態としては広まっていて、そこは今さら裁判にもならないのは、厳密に法的なものではなくとも、当事者間で「そこそこの合意」があるからではないでしょうか。

そのような手立てが、利用者側はもちろん、サービス提供側の利益にもつながると考えます。

今でも多くの介護施設では、利用者側の「キーパーソン」を把握しようとしていると思います。それでも事故後に予想外の関係者が登場することがあるのは、相続全般と同様に、避けられないことでしょう。
実際問題として、現在でも医療機関では手術や入院開始時には、副作用や身体拘束や延命治療について、一筆書いているのが現状だと思います。
ただ、そういう「訴訟回避のため」の「yesかnoか」ではなくて、少しでも当事者双方が納得できるように、ケアにおけるウェイトの置き方・考え方のような角度から話し合う機会を設けて、それを何らかの形の文書で共有しておければ望ましいと思います。
医療と違って、介護・ケアの領域は、各人のニーズの方向性や力点、重さがそれぞれ異なります。「これだけは」という要望を持っている人もいれば、「なんでもいい」という人だっています。
それらを法的な枠組みに押し込めるのではなくて、むしろ「そのまま」表明してもらい、文書に残しておくことが、実はあとで法的に問題になったときにも、信頼に足る資料として役に立つのではないかと思っています。
無理に免責条項に一筆もらっても、あとで揉めた時には、「あれは言われたから、分からずにサインしただけだ」という話になるのではないでしょうか。

【障害ではなく時代が憎い まひ治療中、医師は戦場へ】西日本新聞
2015/5/31 6:00 (2019/8/7 17:26 更新

鹿児島市 上村慶子さん(76)
 パステルカラーのカーディガンがよく似合う。鹿児島市のデイサービス施設を訪ねると、上村(かみむら)慶子さん(76)が電動車いすで迎えてくれた。職員に「おしゃれにしとるね」と声を掛けられ、ちょっと照れながら。
今回の「証言をつなぐ」特集のテーマは「障害者と戦争」。上村さんも四肢や顔に障害があり、もう70年以上、歩いていない。
 「戦争がなければ歩いていたかもしれないんです。情けないですよ」
 真っ先に振り返ったのは6歳、1944年ごろの出来事だった。生後すぐ、足がまひして力が入らなくなっていたが、母の親戚に医師がいて、専門的な治療を受けるチャンスが巡ってきた。激痛で泣きわめくほどだった施術の直後は、立って1歩、2歩、3歩、足を前に進めることができた。
 「母はね…、泣きましたよ。慶子が歩いた、慶子が歩いたって」
 もう一度、集中治療を施せば改善する可能性があると言われた。「一緒に歩く練習をしよう」という医師の言葉に、目の前が明るくなったことを覚えている。
 しかし、その機会は訪れなかった。戦局が厳しさを増す中、医師は戦場へと駆り出され、帰ってこなかった。
 歩けない少女にとって、戦争の記憶は母の背中とともにある。45年4月8日、鹿児島市の市街地が本格的な空襲に見舞われたときもそうだった。
 自宅近くの温泉を訪れていた。少しでも足が良くなるようにと、湯に漬かり、母にさすってもらうためだった。
 パタパタパタ…。母におぶわれ、外に出たところで音がした。「スズメの羽音だよ」と話し掛けた直後、爆弾が次々と降ってきた。
 温泉の煙突も屋根もあっという間に壊れていく。裸で逃げ出す人もいた。近くの防空壕(ごう)はどこも満員。母は自分を背負ったまま、狂ったように叫びながら自宅へと走った。近所で大勢の人が死んだ。
 背中越しに伝わる母の涙に、幼心に申し訳ない気持ちが膨らんだ。しびれる手足がもどかしかった。
 「大きくなっていく私をおぶう母は大変だったと思います。憎いですよ」 障害そのものではなく、あの時代が憎かった。

2.

「変な顔」「おまえの食べものないよ」 母の背で聞いた暴言
 桜島を望む高台の自立ホームで、上村さんは暮らしている。障害者が働く作業所なども併設され、そこで昨年夏から戦争体験を語り始めた。熱心な職員に勧められたからだった。
 「変な顔」「おまえの食べるものはないよ」…。若い施設利用者たちを前に思い出すのは、戦時中、母の背で聞いた暴言の数々だ。
 手足と顔にまひのある娘をおぶって歩く母に、通りすがりの人が冷たい視線を浴びせた。わざわざ呼び止めて「荷物かと思ったら何だ。そんなのからって出掛けるな。みっともない」と言い放つ警察官もいた。
 父は軍人で、生後3カ月のころに戦地で命を落とした。男は戦場へ、女は銃後を支える。できなければ半人前。弱者にとことん厳しい空気が、子どもにまで押し付けられる時代だった。
 それでも母は世間の目を気にしなかった。外に敷いたござに座らせて遊ばせてくれたが、姉と兄は嫌がった。「私たちまで笑いものになる」「嫁をもらえなくなる」。親子げんかの原因はいつも自分だった。
 「何でこんな体に生まれたのかって、泣いたこともありました」
 飛び出したくても1人ではかなわない。ほとんどの時間を家の中で過ごした。字を覚え、本を読む。「障害者のくせに」と声が聞こえても、母はたくさんの書物を借りてきてくれた。
 終戦は宮崎の疎開先で迎えた。戦争から遠ざかるにつれ、世間の空気が変わり始める。13歳のころには、木箱に3輪を付けた車いすを手作りしてもらった。それで教会に通い、友人ができた。思い通りに動き回る娘を見て、母は泣いた。
 「母は『学校にも行かせられず、すまなかった』とよく言っていた。でも私はまだいい方だったんです。母が優しかったから」
 二人三脚で生きてきた母にも徐々に老いが迫り、少しでも自立できればと、40代半ばから福祉施設に通い始めた。亡き母が病に倒れたのを機に今の施設に入り、17年がたつ。
 今、1人部屋でヘルパーの手を借りながら自由に暮らす。おしゃれが趣味で、取材の日に着ていたカーディガンも、電動車いすで時々出掛ける繁華街のデパートで買ったという。
 「読書も買い物も堂々とできる。今が一番楽しいですよ」
 母の背で聞いた暴言を耳にすることは、もうないだろう。平和な時代が続く限り。 
 (森井徹)

=2015/05/31付 西日本新聞朝刊=


【重度障害の娘を出産後、「仕事は絶対できない」と宣告された私がなぜ職場復帰できたか】プレジデントオンライン8/8(土) 6:16配信
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山田美樹(やまだ・みき)
地方公務員として区役所に就職。現在は、区役所の出張所で窓口業務を担当。結婚8年目に長女を出産。仕事のかたわら、全国医療的ケア児者支援協議会理事も務め、医療的ケア児でも通園・通学できる制度を実現すべく、国や地方自治体に働きかけている。

さまざまな制度を駆使して、働きながら娘をケア
 お腹にいる子どもの異常を告げられたのは妊娠27週目のときだ。骨が曲がっていることがわかり、お腹が大きくなるにつれ、肋骨(ろっこつ)や大腿骨に変形が生じていく。「お腹の子は私が守っているんだから、絶対大丈夫」。山田さんはそう信じるしかなかった。
 帝王切開での出産になり、医師から新生児死の可能性も伝えられる。あまりのショックに気も動転したが、覚悟して迎えた当日、術後に聞こえたのは赤ちゃんの泣き声。「生きてる! 」と嬉しくて、その頬に触れたときに初めて涙がこみあげたという。
 「萌々華(ももか)」と名づけた愛しい娘。だが、NICU(新生児集中治療室)に入ると、抱っこや授乳もできない。病名は「骨形成不全症」。骨がもろくて弱いことから折れやすく、骨の変形や呼吸機能障害などをきたす先天性の難病だ。治療法もなく、骨折を防ぐ薬を投与し続ける。生後8カ月でようやく退院できることになったが、「NICUで先輩ママから『仕事は絶対できないわよ』と言われたんです。でも、生まれた子にたまたま病気や障がいがあるというだけで、母親も仕事ができなくなるのは納得がいかず、何か方法があるんじゃないかと思い悩みました」。
 区役所に勤める山田さんは公務員のため子どもが3歳になるまで育休を取れる。その間は育児に専念しようと決めた。娘はベビーベッドで過ごすが、骨がもろいため抱き上げられない。おむつを替えるのも骨折の痛みで泣き叫び、泣くとすぐチアノーゼが出るので、とにかく泣かせないようにと神経をすり減らす。栄養は鼻から注入し、24時間の酸素吸入が欠かせない。夜中もいつでも起きられるようにソファで仮眠する生活が続く。
 ずっと寝たきりの娘がかわいそうで、ベビーカーに酸素ボンベを積んでは、毎日のように近所を散歩した。
 「萌々華はいつも上を向いて寝ているので周りが見えません。だから、『ワンワン来た』『電車に乗る』とか、どうやって言葉を覚えるのだろうと心配で、よく話しかけていました。すると『おかあさんといっしょ』を見ていた娘は最後の挨拶の場面で、『バイバイ』と。そこからペラペラしゃべりだしました」
 できれば保育園で同じくらいの子たちと過ごさせたいと思う。だが、医療的ケアが必要な子を預けられる場所はなかった。育休終了も迫り、インターネットで必死に探していたら、ベビーシッター希望の看護師の女性にたどりつく。職場では小学校就学まで短時間勤務が認められ、彼女に半日見てもらうことで復帰できた。

■仕事を辞める選択肢はなかった
 娘が4歳になると地域の子ども園へ入園がかなうが、集団生活で風邪をもらっては入退院を繰り返す。その秋には肺炎で呼吸不全に陥り、気管切開して人工呼吸器を装着することに。それでも仕事を辞める選択肢はなかったという。
 「たぶん仕事をしていなければ、精神的にもたなかったと思います」
 プライベートでは「萌々華ちゃんのお母さん」として頑張るけれど、職場では「長島(旧姓)」の自分に切り替えられる。そこでバランスを保っている気がすると漏らす。
 「もし仕事を辞めたら、いつかきっと後悔する。この子のせいで辞めたと悔いたら、娘に申し訳ないという気持ちもありました」
 しばらく介護休暇をとって付き添い、小学校就学とともにフルタイム勤務に復帰。特別支援学校でも人工呼吸器の子は親の付き添いが必要で、やむなく自宅での訪問教育を頼む。痰(たん)の吸引ができるヘルパーを探し、在宅で見てもらうことになった

2.

娘を小学校に通わせたいという思い
 「本当にいつも綱渡りで……」と朗らかに振り返る山田さんだが、娘を小学校に通わせたいという思いは切実だった。訪問教育は週6時間で知的発達に遅れがない娘にはとても足りず、なにより同じ年頃の友だちと交流させてやりたかった。特別支援学校の児童は地域の小学校で交流できる機会もあるが、大勢のクラスにぽんと1人で入れるのはつらい。子どもたちに囲まれると、圧倒されて何も話せなくなる娘が不憫(ふびん)だった。
 「やっぱり強い子になってほしいんです。今は受け入れ先がなく、娘も人の多いところには行きたがらない。でも、将来を思えばいずれ外に出ていかなければいけないんですよね」
 山田さんは医療的ケア児の就学を支援する活動に取り組んできた。萌々華さんも「私ががんばれば、みんなが学校へ行けるようになるね」と言ってメディアや行政への陳情の場で自分の思いを伝えてきた。しかし、現状はいっこう変わらず、「学校へ行かせてください。お願いします! 」と健気に訴える娘を見ていると胸が痛む。そんななか、2020年4月から東京都の特別支援学校ではガイドラインに沿って、人工呼吸器の子どものケアが始まることになった。小学6年生になる娘のために、何とか通学を実現しようと思い立った。
 実際に受け入れ体制が整うには数カ月かかり、それまでは自分が付き添わなければならない。仕事も休まざるをえないが、学校へ行く夢がかなうのであればと覚悟を決めた。
 「子どもにとっても、親がずっとそばに付いているのがいいとは思わない。娘は私が仕事へ行くときも『行かないで! 』とぐずったことが1度もないんです。『行ってきます』と言うと、『行ってらっしゃい。気をつけてね』と送り出してくれる。本当だったら、私が『行ってらっしゃい』と送り出したいのですが」
 娘とともに歩む日々ではさまざまな壁にぶつかり、闘い続けてきたが、「まあ仕方ないじゃない」と明るい娘に助けられてきたという。今は萌々華さんも好きな音楽を楽しんだり、座る練習を始めたり、ひとりの世界が少しずつ広がっている。いずれは自分がやりたい仕事を見つけ、外へ羽ばたいてほしいと願う。そのためにも、どんな状況でも仕事を続ける母の姿を娘の記憶に刻みたいのだと、山田さんは明るく語った。



【「虐待を防ぐために…」精神疾患や依存症を抱えた親の子育て。どうサポートする?】婦人公論8/7(金) 12:01配信
残念なことに、肉親による痛ましい虐待事件が後を絶たない。だが、親を責めるだけでいいのだろうか。なかには、親の精神疾患や生きづらさゆえ、子育てに困難が生じているケースもある。子どもの命を守るために何ができるのか。北海道に、そのヒントがあった(取材・文=玉居子泰子)
◆子育て支援はまず親自身の困難に寄り添う

「今日はどんな調子ですか? 困りごとがある人はいますか?」
北海道札幌市にある精神科・心療内科「札幌なかまの杜クリニック」の一室に、ソーシャルワーカー内田梓さんの声が響く。なかまの杜では、診察とは別に、デイケア(再発防止や社会復帰のための、日帰りのリハビリのこと。文化活動や交流などを行う)として、利用者同士の話し合いやミーティングの場を多く設けている。
そのうちの一つが、子育て中の患者を対象にした「子育て当事者研究」だ。産後うつなどから受診した人や、保健師から紹介される人、もともとクリニックにかかっていて妊娠・出産を経験した人など状況はさまざまだが、子育て中の利用者同士で、苦労していることを語り合う。
「トイレトレーニングがうまくいかない」「動悸がひどく、子どもと遊べない」「体調が悪く寝不足。子どもに向き合う余裕がない」
この日も集まった親たちが次々と最近気になることを語り出した。内容は子育てに限らず、自身の病気に関する悩みでもいい。仲間と語り合い、つながりを持つことが目的だからだ。Aさんがこう言った。
「苦手な人に会うと萎縮して、食事ができなくなる。もうすぐ親戚の結婚式があるんですが、苦手な叔母が食事の様子をいつもじっと見てくるので、今から不安で……」
看護師の高村美香さんが、相槌を打ちつつ話の要点をボードに板書すると、内田さんが言った。
「じゃあ今日は、Aさんの結婚式の対処法から考えましょうか」
「苦手な人を前にオドオドしない方法は?」「目線の置き方と立ち位置に気をつけたら?」「周囲に気づかれずに食事を残す方法もあるよ」など、患者仲間からアドバイスが出てくる。
「では、叔母さん役とAさん役に分かれて、ちょっとやってみましょう」
内田さんが促すと、利用者たちが前に出て、結婚式での過ごし方をあれこれシミュレーションして演じる。
「目線を相手の鼻先に置くと怖く感じないね」「向かい合わず、斜め横に立てば威圧感がないかも」
みんなで笑いながら結婚式の即興劇をするうちに、相談者のAさんも緊張がほぐれてきた。これは、SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)といって、人とかかわる具体的な方法を学ぶ認知行動療法の一つだ

2.
心に傷を抱えるつらさやうまくいかない子育ての悩みを、ここでは安心して共有できる。「子どもを怒鳴った」などの打ち明け話が出ても誰も非難しない。良い親になれない現実をどう改善するか、当事者同士で考える。内田さんはこう語る。
「子育て支援で必要なのは、まず親自身の困難に寄り添うこと。語り合うことで、私たち専門家がどうサポートすればいいかも見えてくるし、患者さん同士で励まし合うこともできる。親が自分自身を大切にできるようになり、やがて子どもを大切にすることができるのだと思います」

◆病を抱えた親の子育てを町全体で支え合う
なかまの杜の「子育て当事者研究」は、北海道浦河町にある、精神障害などを抱えた人たちの地域活動拠点「べてるの家」の当事者研究がベースになっている。1984年に地元の教会やソーシャルワーカーに支えられながら、精神障害のある人たちが薬だけに頼るのではなく、対話によって自分たちの困難を認め、病気を持ったまま地域で生きていこうと生まれたものだ。
さらにべてるの家のメンバーらは自分たちで昆布販売などの事業を営み、地域経済を活性化させた。周囲の人々も彼らを少しずつ受け入れるようになり、やがて、病気や障害を抱えながら親になった人たちの子育てを、行政や支援者たちが見守ってきた歴史がある。
私が訪れた日、浦河町の役場で「子育て支援検討会議(応援ミーティング)」が開かれていた。会議室には、統合失調症と買い物依存症があるシングルマザー(43歳)と2歳の息子を囲み、町の教育委員会、病院、児童相談所、子ども家庭支援センターなどから約10名の関係者が集まっていた。
女性には、すでに成人した子どももいるが、精神的に不安定だった時期の子育ては難しく、当時はネグレクトに近い状態になったこともあったという。だが現在は、町の精神科クリニック「浦河ひがし町診療所」に通院し、医師や看護師、スタッフに見守られながら、息子をここまで順調に育ててきた。
ひがし町診療所は、べてるの家ともつながりが深く、浦河赤十字病院の精神科医だった川村敏明医師が退職後、「地域に根付いたクリニックを」と開業した。診療では時間をかけて患者に向き合い、患者同士で支え合う会を開くなど、利用者が必要な時にはいつでも立ち寄れる場所として機能している。前述の女性も、心身の調子が悪ければいつでもここのスタッフに息子を預け、家で休んだり買い物に出かけたりすることができる。

3.


この日の「応援ミーティング」のテーマは、そんな息子を保育所に預けるかどうかだった。
「診療所の皆さんに助けてもらってここまできたけど、大人とだけ接していたら、同世代の子と触れ合うチャンスを逃して成長に良くないんじゃないかと心配で。そろそろ保育園に預けようかと思うんです」
彼女の声を聞き支援者の多くがうなずくなか、当の男児を膝にのせてご飯を食べさせていた川村医師は「俺がさみしいから嫌だなぁ」とみんなを笑わせてから、真顔でこう言った。
「この子は大人に囲まれて安心してスクスクいい子に育っている。何も心配いらないよ。大事なのは、この子を保育所に入れた後、母親であるあなたが自由になった時間をどう過ごすか、しっかり考える時期にあるということじゃないかな」
神妙に頷く女性を前に、川村医師はこう続ける。
「急に依存症を治して、しっかりした親になれって言っているんじゃないよ。しっかりした親が子どもを幸せにできるとは限らないからね。ただ、この子が外の社会に安心して出るためには、親のあなたも幸せに生きないと。保育園に預けてもいいけど、いつでも私たちのところに顔を出して、子育てのことを報告し続けてほしい。これからもみんなで育てていけばいいんだからね」
症状の重さにもよるが、精神障害などのある親が出産した場合、児童相談所が介入し、必要であれば乳児院入所や特別養子縁組の措置をとるケースは多い。だがこの町では長年、親子をなるべく隔絶させず、行政、教育委員会、福祉、医療の専門家が関係性をオープンにして、協力し、子育てに介入し見守る姿勢を保っている。川村医師は言う。
「虐待などの防止には、子が安全に安心して育つ環境を作るのが大前提です。だが、精神疾患を理由に、安易に親子を離れ離れにするのが子育て支援と言えるのか、私には疑問です。浦河では30年以上試行錯誤を続け、親を悪者にしない視点をみんなで守り続けてきたのです」

4.
医師も患者と同じように弱さを見せていい
浦河町にはほかにも精神科を含めたクリニックがある。児童精神科医の八十川真里子医師が、内科医の夫とともに設立した「うらかわエマオ診療所&からし種」だ。知的障害や発達障害のある小・中学生が放課後に通えるデイサービスがあり、親子の両方が精神科医の診察やカウンセリングを受けられる。
ともに気分障害を抱える、ある母娘のカウンセリングの様子を見せてもらった。長女はすでに就職し家を離れ、中学生の次女と母親で現在2人暮らしをしている。母は離婚後に金銭トラブルを抱えながら2人の娘を育ててきた。
一緒に暮らしていた頃は長女とよく激しい喧嘩をしたらしい。大騒ぎを聞いた近隣住民から通報を受け、警察が様子を見にくることもあった。次女は不登校を経験したが、親子で診療所や放課後デイサービスに来るようになり、関係はずいぶんと変化したという。
「真里子先生に親子で診てもらうようになって、お母さんは変わったよ。すごく穏やかになった。私もここの放課後デイに来るようになって、学校に行けるようになったもんね。ここならたとえ感情を爆発させても、受け止めてもらえて、しっかり話も聞いてもらえる。真里子先生に悩みを話せるようになって、自分のことがよくわかるようになった」
八十川医師は優しくうなずく。
「あなたはよくやってるよ。年下の面倒もよく見てくれるしね。お母さんも本当に落ち着いてきたよね」
実は八十川医師自身も、精神的に調子を崩し育児と仕事に苦しんだ過去があった。
「静岡で精神科医になったはいいものの、頑張りすぎて燃え尽きてしまって。休職した時期もあったのです。『べてるの家』のことを知ってこの町にたどり着き、周囲に支援されながら、なんとか育児をしてきました。そしてご縁があって、このクリニックを立ち上げることができて。
私のところに来てくれる利用者さんたちは、みんな私の弱さを知っています。それでも相談に来てくれる。支援する側とされる側の境目があまりない町だからこそ、こんな私でも母子支援にかかわれているのかもしれませんね」

5.
子どもと親の人生を同時に支え続ける
子どもに重い疾患や障害がある場合にも、虐待への注意は必要で、親へのサポートが欠かせない。
札幌市にある社会福祉法人「麦の子会」(通称むぎのこ)は、発達障害児の療育施設として83年に生まれた。現在は、発達支援、相談支援、家族支援、地域支援を柱に、精神科クリニックや放課後デイサービス、ショートステイやの親への相談事業など包括的な支援を行う。24年間、むぎのこにかかわってきた統括部長の古家好恵さんに話を聞いた。
「もともと障害のある子どもたちの居場所を作る目的で始めたのですが、利用者の親御さんと話していると、やはり親、特に母親へのサポートが不可欠なんだとわかってきました」
発達障害児を抱えた親は、日々思い通りにいかない子育てのなかで、大変な苦労をする。周囲の無理解から孤立し、深く悩む人も多い。
「いっぱいいっぱいになって、子どもにつらく当たってしまうケースは多い。でも、親も苦しんでいます。だから、子どもを怒鳴ったり叩いたりしてしまったら、必ず電話をしてくださいと伝え、私たちはいつでも自宅に向かう態勢をとっています。すぐに自宅に駆けつけ、とにかく話を聞く。それを繰り返していると次第に、親も爆発する前に自分から助けを求められるようになります」
子どもを預かる時間を増やす、家事や育児を手伝うなど、一人一人に必要な支援をする。団体として利益を考えるより先に、とことん、親の苦しみに寄り添うことに徹してきた。そうした職員たちの熱意が伝わるのだろうか。親がまず職員に心をゆるし、安心すれば、子どもへの接し方も変わると言う。
「子の障害のあるなしにかかわらず、誰だって気持ちに余裕がなくなれば子育てがつらくなります。親を責めても、追い詰めるだけ。支援を受けることは甘えではありません。親に余裕が生まれれば、必ず落ち着いて子育てができるようになります。結果、親も子も楽になれるんです」
現在、むぎのこでは、ファミリーホーム(家庭環境を失った子らを里親や児童養護施設職員などが養育する住居のこと)を設立し、障害児を受け入れている。
かつて障害児を抱えてむぎのこを利用していた親たちが、今度は職員や里親になるという良い連鎖も生まれている。ある女性は、里親になった今がとても幸せだと言う。
「孤独でつらかった子育てを、むぎのこの支えで乗り切ることができました。経験を生かし、子育てに困っている親御さんの話を聞き、里子を迎えられているのは、ありがたいこと。子育てのやり直しをさせてもらっているようです」

***
北海道で見られたこうした地域包括型の子育て支援は、一朝一夕に確立できるものではない。だが、虐待を防ぐために、こうした取り組みが全国に広がることを期待したい。
そして私たち一人一人にも、人知れず子育てに悩む隣人の姿を知り、通報する前に対話をしてみるという努力が必要だろう。自分だって同じ立場になるかもしれない。子どもを守るには多角的な支援が必要だ。

(撮影=江連麻紀)






支援者のための地域連携ハンドブック~発達障害のある子供への対応~
東京都福祉保健局
東京多摩府中保健所

・健康ライブラリー「完全図解 アスペルガー症候群」、佐々木正美 総監修
梅永雄二 監
修、講談社、2011
・健康ライブラリー イラスト版「アスペルガー症候群・高機能自閉症のすべてがわかる
本」、佐々木正美 監修、講談社、2009
・健康ライブラリー イラスト版 家庭編「アスペルガー症候群・高機能自閉症の子ども
を育てる本」、佐々木正美 監修、講談社、2011
・講談社現代新書「発達障害のいま」、杉山登志郎 著、講談社、2012
・学研のヒューマンケアブックス「子ども虐待という第四の発達障害」、杉山登志郎 著、
学習研究社、2011
・「大人の発達障害 アスペルガー症候群、AD/HD、自閉症が楽になる本」、備瀬哲弘
著、マキノ出版、2009
・独立行政法人福祉医療機構助成事業 高機能自閉症とアスペルガー症候群の地域サポー
ト事業報告書、社団法人日本自閉症協会、2010
・「保育士・幼稚園教諭向け 実践に活かす 気になる子への支援ガイドブック」、埼玉県、
2011
・「10 歳までの子育ての教科書」、アスコム 編、アスコム、2011
・「発達障害白書 2011版」日本発達障害福祉連盟編、日本文化科学社、2011
・学研のヒューマンケアブックス「発達障害と家族支援 家族にとっての障害とはなにか」
中田洋二郎 著、学習研究社、2009





【血圧管理】
【自律神経系英: Autonomic nervous system)】
【障がい者雇用のいま(2)「医療型就労支援」が導く光明】
8/7(金) 6:01配信
【障がい者雇用のいま(1)数字を伸ばす「就労移行支援」とは何か?】
ダイヤモンド・セレクト「オリイジン」/福島宏之8/4(火) 6:01配信




【記事】
【障がい者雇用のいま(2)「医療型就労支援」が導く光明】
8/7(金) 6:01配信

前稿(「障がい者雇用のいま(1) 数字を伸ばす『就労移行支援』とは何か?」)では、就労系の障害福祉サービスである“就労移行支援事業”についてまとめた。全国に3400以上ある事業所が就労を希望する障がい者と向き合っているかたちだが、内在する問題点や課題も多い。今回は、問題解決のひとつとなる“医療型就労支援モデル”について、その第一人者である清澤康伸氏(一般社団法人 精神・発達障害者就労支援専門職育成協会代表 医療法人社団欣助会 吉祥寺病院勤務)に話を聞いた。(ダイヤモンド・セレクト「オリイジン」編集部) 
*本稿は、現在発売中のインクルージョン&ダイバーシティ マガジン 「Oriijin(オリイジン)2020」からの転載記事「さまざまな障がい者の雇用で、それぞれの企業が得られる強み」に連動する、「オリイジン」オリジナル記事です。
企業の持つ、障がい者雇用上のリスクは「症状悪化」

 就労系障害福祉サービスの“就労移行支援事業”は、働く意思を持つ65歳未満の障がい者(原則18歳以上)に対し、就労に必要な知識の取得や職業能力の訓練を行うもので、地域の福祉法人・NPO法人・民間企業などが公共職業安定所(ハローワーク)や医療機関と連携しながら行っている。そうしたなか、清澤氏が行う“医療型就労支援”の端的なメリットは何か? 

  「『障がい者の雇用上のリスクは何ですか?』と企業に問いかけると、『(精神や発達障がい者の)症状悪化』という答えが多く、それは医療の領域になります。実際に、公的な調査でも企業が考える就業後のリスクとして、実に70%もの企業が症状悪化を挙げています。ある企業の例では、雇用中の障がい者が体調を崩してしまい、人事担当者が支援機関に『どうしたらいいですか?』と尋ねたところ、『次の診察が来週なので、それまで休ませてください』という答えが返ってきたそうです。長く休むことは企業にとっても本人にとっても不本意かもしれません。しかし、医療を行う支援機関であれば、すぐに診察できる体制なので早期対応しやすい。以前、厚生労働省の担当者とも話しましたが、医療機関が就労支援を行うことで“企業の知りたい医療情報”を責任持って適切に提供できるという強みがあります。大切なのは就労することではなく、障がい者が働き続け、社会の中で当たり前に生活していくことです。しかし、ずっと症状が安定している方は非常に少なく、多くの方は症状が不安定になることがあります。そこに責任を持って対応ができるのが医療型就労支援のメリットです。医療行為とともに障がい者と企業の双方をシームレスにバックアップすることで、働き続けることで生じる問題を早期に解決しやすくなります」

 “医療型就労支援”の最大利点は、「障がい者の一番悪い症状から回復までの一連の流れを把握している医療機関が、障がい者と企業の双方に対してリスクヘッジできる就労支援と職場定着を行うこと」と、清澤氏は断言する。

  「精神や発達障がいがある方の多くが、ある程度の症状回復をしてから就労移行支援サービスを利用しますが、わたしたち“医療型就労支援”はその方の一番悪い状態から関わっています。なので、回復までの経過や、どういうときに調子を崩しやすいのかということをきちんと把握したうえで、わたしたちは、企業に、症状悪化のサインや周囲から見て取れるサイン、その際の対処の仕方についてをダイレクトに伝えられます」

 清澤 康伸(きよさわ やすのぶ)

 一般社団法人精神・発達障害者就労支援専門職育成協会代表理事(ES協会)。医療法人社団欣助会吉祥寺病院勤務。国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター(NCNP)時代より職場開拓、支援プログラム、就労後の定着支援、定着後のキャリア支援、企業支援などをワンストップで行う医療型就労支援モデルの構築を行う。新しい就労支援の形である清澤メソッドを考案。NCNPを経て現職。これまで10年間で300人以上の精神、発達障がい者の一般就労を実現する。就労プログラム履修者の就労率92.7%、1年後の職場定着率93.0%は国内トップレベル。就労プログラム開始から一般就労までの平均5カ月。自身の就労支援の経験から支援者の人材育成が急務と考えES協会を立ち上げ、支援者の育成にも力を注ぐ。そのほか企業、公的機関、家族向けなどのセミナーや講演なども多数行う。

2.
“医職住”の支援をワンストップで行える強み

 清澤氏が行う“医療型就労支援”では、1年後の職場定着率も極めて高い数字になっている(独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構の調査では、就労した精神障がい者の1年後の職場定着率が49.3%。清澤氏が行う医療型就労支援は93.8%)。それはなぜか。

  「国が定める就労定着支援事業と違い、現在、 “医療型就労支援”での定着支援は期限がありません。就労者が患者さんである限り、わたしたちの病院に通い続けますから、その間はずっと支援を続けていけます。つまり、医療的な側面、就労と定着支援の側面、生活支援の“医職住”をワンストップで行えることが強みとなって、定着率を高めていると考えられます。障がい者の就労支援、定着支援では、この医職住を網羅した支援がとても重要になります。また、就労してから働き続けていくための土台作りを行っていること、企業側へ雇用定着のためのベースとなる雇用システムの提供を行っていることも高い定着率を保っている要因のひとつとなります」

 福祉法人・NPO法人・民間企業といった就労移行支援機関も、地域の医療機関との連携を図ってはいるが……。

  「従来型の就労移行支援は、いろいろな機関がひとりの障がい者を支えています。このことはとても大切なことであると思います。しかし、情報を一本化するのが難しく、対応が段階的になってしまい、連携による意思統一がなかなか図れなかったり、時間がかかりすぎることがあります。また、責任が分散されることによって、企業におけるリスク発生時の対応が円滑に機能しない場合も多いです。一方で、医療機関の職員は、精神科医師・看護師・心理療法士など、すべて異なった国家資格を持つ専門家集団であり、それぞれの専門性を生かし、チーム一体で障がい者と企業を多面的にフォローしています。リスクの早期発見と発生時の対応だけでなく、情報の共有や統一した支援が行いやすいのです」

 従来の就労移行支援事業所が行っている“職業訓練”を、清澤氏の“医療型就労支援”はほとんど行っていないのも特徴だ。

  「職業訓練はOJTで行った方が効果的だと思っていますし、わたしたちが職業訓練を行うと、地域の就労移行支援機関と競合してしまう。それでは差別化が図れないということもあり、“医療型就労支援”では、病状管理やストレス対処、症状が悪化しそうなときのサインの出し方を本人に徹底的に教えて、自身で対応できるように育成しています。これらは就労して働き続けるための土台作りです。そして、このプログラムに参加することで自然とストレス耐性が身につくようになります。これまで、わたしは、(中小企業~大企業の)3000社ほどの方、それこそ現場レベルから取締役レベルの方とお会いしていますが、そこでよく言われるのは、『会社は(障がい者に)仕事を教えられるけど、症状とどう付き合えば良いのか?は教えられない。だから、支援機関でその部分をやってくれないか?』ということです」

3.
3本立ての“医療型就労支援”プログラムの内容

 清澤氏の“医療型就労支援”では、働き続けるための土台作りを「就労準備性」と呼んで重点を置いている。「就労準備性」とは、具体的にはどういったものか?

  「企業が障がい者に最初に求めることは、『本人が自分の障がい特性を理解し、自身で対処ができるのか?』ということです。病気の知識をとても学ばれている企業担当者の方は増えてきています。しかし、特性イコール病名ではありません。たとえば、『統合失調症』でも、幻覚・妄想が出るか出ないかといったようにさまざまな類型があります。病名は診断する医師によって変わることもあるので、病名よりも、きちんと自分の症状の特性を知っているかが重要なのです。わたしが策定した“就労準備性”のプログラムは、企業が被雇用者(障がい者)に求める6つの事項を解決するためのものです。(1)自分の障がい特性を知っているか、(2)セルフモニタリングとセルフコントロールのやり方を知っているか、(3)自分の状況を説明できるか、(4)必要な支援を求めることができるか、(5)自分にとって就労がどんな意味を持っているかを意識できるか、(6)職場の中で溶け込んでいけるマナーを知っているか。

 心身の調子が悪い状態を障がい者自身できちんと説明できるか、SOSの信号を出せるか、たとえば、『5分間だけ休憩させてほしい。その間に○○のようなことをして早期にリカバーします』と言えるか、などです。最近の例では、人前でしゃべれるようになりたいが、話すことが極度に苦手だった引きこもりの男性が“就労準備性”を体得して就労し、対面での挨拶はもちろん、仕事の電話対応もできるようになっています」

 就労準備性を身につけるための“医療型就労支援”の清澤氏のプログラムは3本立てになっている。

  「ひとつめは、ワークブックを用いた講義+ワークである就労プログラム。ワークブックは、『就労にあたって必要なものは何ですか?』などと、企業200社あまりにヒヤリングして作ったものです。その後、社会の流れや、お会いした企業の話をもとに毎回ブラッシュアップしています。ワークブックに沿って、わたしたち医療チームが講義し、障がい者自身がブックに書き込み、それを自分自身で理解していく。書いた内容を発表してもらうことも肝要です。この“書く”という行為と“話す”という行為が重要なのです。書くことで自身の頭の中を整理・理解し、話すことで再認識と伝え方を学ぶ。3カ月1クールで全13回。週1回半日のみですが、かなりの負荷がかかります。『できないなら無理しないでいい』という方針ではなく、『どうすればできるようになると思う?』といった問いかけを医療チームでフォローしながら、ドロップアウトを防いでいきます。精神・発達障がいの方だけではなく、軽度の知的障がいの方やリワークを望む方も、皆が交じり合って行います。

 他のふたつのプログラムは、ロジカルシンキングと企業研究です。企業研究は、PPT(パワーポイント)を用いたプレゼンテーションを最終ゴールにしています。2チームに分かれて行い、実際に企業を取材し、調べ、まとめていきます。3カ月後に設定されたプレゼンの場には、対象となった企業にも評価をいただくようにしています。また、このプログラムは自分たちで好きに内容を作るのではなく、スタッフのオーダーどおりにスライドを作ってもらうようにしています。仕事は相手あってのものだからです。これまでの医療福祉系のプログラムでは本人の主体性に合わせたプログラムが多いのですが、その中では異色だと思っています。ただし、これは働き続けるためには必要なことです。プレゼンするためには論理的思考も必要で、ここでもかなりの負荷がかかります。『(就労希望者の)パソコンスキルは?』と企業に聞かれたときには、完成したPPTを見せれば理解してもらえますね」

4.
 支援機関が企業と障がい者に正しい支援を行えるか

 清澤氏は、障がい者の職場定着率が低い理由のひとつとして、就労移行支援機関側に問題があると考えている。

  「現在の就労移行支援事業は、支援者側の視点ひとつで『就労支援者やジョブコーチ』と名乗れてしまうものです。支援者になるためのきちんとしたカリキュラムやガイドラインも整備されていません。だから、就労支援の質を企業に担保することができないのです。相手企業をあまり知ることなく就労支援している傾向も否めません。これからは、支援機関が企業と障がい者に対して、正しい支援(就労&定着支援)を行えるかどうかがカギになるでしょう。わたし自身が企業の最終面接を受けることもあるくらい、いまや、企業は真剣に支援機関を選び始めています。『(障がい者に対して)あなたはどういうケアができますか? 企業に対してはどのような対応をしてくれますか?』と」

 全国にある就労移行支援機関は玉石混交といっても過言ではない。実際、ツイッターなどのSNSで、障がい者自身が、通所している事業所の対応やカリキュラムに不満を持ち、不安感や疑問を呈することも散見する。

  「就労する障がい者のために、支援機関と企業の役割が明確でなければいけません。企業の立場からすれば、『支援機関があるから大丈夫!』といった考えは捨てるべきでしょう。むしろ、支援機関がついているうちにそのノウハウを学んで自社で活用できるようにするくらいの気持ちで。また、支援機関の多くは仕事内容にまで余計な口出しをすることがあります。これも避けるべきこと。ある会社において、1年以上勤めた障がい者から『電話対応をしたい』という申し出があったので、会社側は本人の成長を促すためにも了解しようとしたら、支援機関から電話があり、『なぜ、そんなことをやらせるのか?』と。キャリア形成より就労継続優先の考えから、働き手である障がい者の可能性をつぶしてしまう支援機関もあるわけです。結果的に、本人のモチベーションが下がり、仕事を辞めてしまうこともあります」

 清澤氏の行う“医療型就労支援”では、職場開拓から定着支援、その後のキャリア支援について、障がい者だけでなく企業側のノウハウ構築の支援までを一貫してワンストップで医療機関にて行っている。現在、医療法人社団欣助会 吉祥寺病院で“医療ワンストップ型就労支援”を行う清澤氏は、一般社団法人 精神・発達障害者就労支援専門職育成協会(ES協会)の代表も務めることで、就労支援員の人材育成にも力を入れている。

  「ジョブコーチは誰でも名乗れてしまいますが、ジョブコーチの中にも『職場適応援助者』という資格があります。主に(障がい者の)就労後1~3カ月ほどの職場適応期の支援を担当する役割になります。わたしが資格認定しているES(Employment Specialist/就労支援専門職員)は、就労前から就労後までシームレスに、トータル的に支援を行うことを目的にした専門的知識を持ち、活用ができる人材です。ESは本人支援だけでなく、企業支援も同時に行える障がい者就労支援の専門家です。就労支援をきちんと行うためにはノウハウが必要ですが、なかなかそれを学ぶ機会はありません。ノウハウを学ばずに就労支援を行うことで障がい者と企業の双方に迷惑をかけることになる。それを防ぐためにも、わたしがこれまで行ってきた就労支援スタイルである“清澤メソッド”をきちんと学べるような仕組みが必要であり、今後の日本の障がい者雇用を推進していくためには人材育成が急務だと強く感じ、育成協会を立ち上げました。カリキュラムはその日から活用できる“ノウハウ研修”になっています。研修を受けていただき、試験を行い、パスした方が協会認定のESとなり、障がい者の就労支援を行っていきます。資格取得希望者のキャリアはさまざまで、すでに医療機関で働いている方や就労支援機関で就労支援を行っている方が専門的に学ぶことを望んだり、就労支援を始めてみたいけどどうしていいか分からないという理由で受講する方もいます。最近、受講が増えてきているのが企業の障がい者雇用担当の方です。そして、ESの認定を受けた受講生がそれぞれの分野で活躍して結果を出しています」

5.
障がい者雇用を下支えしていくのが支援機関の役割

 厚生労働省のデータでは、民間企業で働く障がい者は年々増え続けているが、これからの日本社会で、多くのES(支援員)が必要なほど、就労希望の障がい者と、障がい者を働き手として受け入れる企業は増えていくのだろうか?

  「障がい者と企業のニーズは、どちらも確実に増えていきます。精神障がいのある方が以前よりも働けるようになっているのは治療の進歩によるものです。治療の進歩により、入院期間が大幅に短縮され、退院後に2年間の就労移行支援事業所を利用しなくても再発防止策をきちんと身につけることで就労できたり、いままでは精神疾患により『働きたいけど働けない、働くことを断念してしまった』と思っていた精神障がいのある方も就労できるようになったと思っています。障害者雇用促進法によって、企業における就労のチャンスも増えました。何よりも、障がい者自身が“働ける可能性”を見い出せるようになったことが大きいですね。障がいのあるいろいろな人が働いているのを見て、『自分も働けるのでは?』と思えるようになり、就労の希望を持つ人が増えているのです。医学の進歩により、重症化、慢性化する人が減っている事実も雇用機会が増えている要因です」

 働き手である障がい者と雇用側の企業、そして、双方をバックアップする就労支援機関の理想的関係はどういうものだろう?

  「支援機関がなくても、企業独自で障がい者を雇用し、キャリアを構築していくことができるのが当たり前の社会の構築をわたしたちは目指しています。企業側の担当者が次々に代わっても、企業が障がい者にしっかり向き合い、職場に定着させられるようにならなくてはいけません。そのためには、企業側に雇用定着のためのベースとなるスキームが必要となります。それをESが企業と一緒に構築のお手伝いをしていく。職場定着には企業(仕事)と支援機関(生活)の両輪が必要です。そのために、まずは、支援の質を担保できる就労支援機関(支援員)が必要です。ES協会で資格を取った方を例に挙げれば、資格を持つ前は障がい者本位、障がい者の就労支援を考えていることが多いです。『本人の希望をどうかなえようか』といったふうに……。しかし、資格を取った後は、企業側の視点を持てるようになります。企業のニーズを知らずに就労支援していたのが、そうではなくなる。就労支援というものは、障がい者当人への支援に重きを置かれがちですが、実は企業側の視点もとても大切で、ESには双方のバランスの良い視点が必要なのです。また、これまで、『医療機関が就労支援までを行うのはおかしいのでは?』といった意見もありましたが、『就労こそ最大の治療』ということがエビデンスとしてあるように、いまでは国も“医療型就労支援”を推進している状況になりました。障がい者を雇用する企業には、雇用したら終わりではなく、キャリア形成まで考えた仕事を通じ、障がい者それぞれの可能性を引き出していってほしいですね。障がい者のポテンシャルはすごいものがあります。それを引き出せるのはわたしたち支援機関ではなく、間違いなく、企業です。それを下支えしていくのが本当の支援機関の役割だと思います」

 ※本稿は、現在発売中のインクルージョン&ダイバーシティマガジン「オリイジン2020」からの転載記事「さまざまな障がい者の雇用で、それぞれの企業が得られる強み」に連動する、「オリイジン」オリジナル記事です。

【障がい者雇用のいま(1)数字を伸ばす「就労移行支援」とは何か?】
ダイヤモンド・セレクト「オリイジン」/福島宏之8/4(火) 6:01配信

1.
厚生労働省によれば、民間企業で働く障がい者は56万人を超え、過去最多を毎年更新している(2019年発表)。1960年の「身体障害者雇用促進法」制定から今年2020年で60年。企業による障がい者の雇用は「努力目標」から「法定義務」となり、1998年には知的障がい者が、2018年には精神障がい者が含まれるようになるなど、法律の改正も後押ししている。一方で、障がい者の職場定着率を上げるために、“就労系障害福祉サービス”を行う事業者(就労支援機関)と企業の連携が、いま強く望まれている。(ダイヤモンド・セレクト「オリイジン」編集部)
*本稿は、現在発売中の『インクルージョン&ダイバーシティ マガジン 「Oriijin(オリイジン)2020」』からの転載記事「さまざまな障がい者の雇用で、それぞれの企業が得られる強み」に連動する、「オリイジン」オリジナル記事です。


● 利用者増の「就労移行支援」とはいったいどんなものか?

  「現在、御社は障がい者の雇用をどうされていますか?」――企業の人事担当者が、障がい者の就労支援機関を名乗るところからこうした電話を受けることが増えている。

 一般企業や国・地方公共団体などによる障がい者の雇用は法定義務(「障害者雇用促進法」障害者雇用率制度)であり、実際、障がい者が就労系の障害福祉サービスを利用して就労するケースはこの10年で10倍以上も数字を伸ばしている(約1万5000人/年)出典1
。 就労系の障害福祉サービスは、「就労移行支援事業」「就労継続支援A型事業」「就労継続支援B型事業」があり、2018年(平成30年)4月から「就労定着支援事業」も加わった。また、これらの障害福祉サービスを行う事業者のほか、就労支援機関としては、障害者就労支援センターや障害者就業・生活支援センターなどもあり、障がい者自身や企業の人事担当者も明確な違いが分からないほど多岐にわたる。

 なかでも、利用者(主に障がい者)が増えている「就労移行支援」とはいったいどんなものか?

 これは、事業者が、働く意思を持つ65歳未満の障がい者(原則18歳以上)に対し、就労に必要な知識や職業能力の訓練を行うもので、事業所は全国に3400以上あり、福祉法人・NPO法人・民間企業などが運営している。そのほとんどが通所型の福祉サービスで、公共職業安定所(ハローワーク)や医療機関などと連携したうえで、利用者それぞれの適正に合った就労支援を行っている。

2.
就労移行支援を利用できる期間は2年間

 もちろん、就労移行支援の利用者である「働く意思を持つ65歳未満の障がい者(原則18歳以上)」もさまざまだ。

 身体・知的・精神障がい者に加え、近年では発達障がい者も増えている。「障害者手帳」の有無に関わらず、就労支援のサービスを受けることができ(休職者は所定の要件を満たす場合に利用可能)、就労支援の事業所は、たとえば、同じ都心部においても、オフィスビルの中にあったり、繁華街の一角にあったりと、指導員・支援員といった人員配置の割合こそ国によって定められてはいるものの、広さや内装・設備(バリアフリー状況)は多分に異なっている。

 そして、就労移行支援を利用できる期間は最長2年で、いつからどの事業所に通うかは、利用者自身の判断によるものだ。もし、この記事の読者であるあなた自身や近親者が、就労移行支援を望み、事業所選びをするなら、いくつかの事業所を見学し、そのカリキュラムや職員(指導員・支援員)との相性や支援スタイルを見たうえで通所の判断をするべきだろう。長期間の通所を想定し、まずは、無理なく通える場所(地理的な条件)を考えたい。また、事業所によっては、対応できる障がいの種別が異なること、個別対応(1対1)のサービスではなく、他の利用者と席を共にすることにも留意が必要だ。

● 就労移行支援の利用者は今後ますます増えていく

 次に「就労移行支援」の具体的な数字を見てみよう。

 2017年(平成29年度)の利用者は全国で3万3757人。身体障がい者8%、知的障がい者33%、精神障がい者58%、その他1%となっている出典2
。そのうち、一般就労への移行者(企業などに就職できた者)は8906人で、利用者の26.4%にあたる。この「就労移行支援利用者の一般就労への移行率」は、2015年(平成26年度)が22.4%、2016年(平成28年度)が25.1%……と、年々、利用者数とともに数字を伸ばし、一般企業による障がい者雇用の高まりがこの数字推移からもしっかり見て取れる。 実際、ある就労移行支援事業所(東京・新宿区)のサービス管理責任者は「コロナの影響で状況はやや変わりつつあるものの、企業の問い合わせやニーズが増えているのは明らかだ」と語る。

 法定雇用率を満たす企業には、調整金として1人超過あたり月額2万7000円(常用労働者数が100人超の企業の場合)が支給されるが、法定雇用率が未達成の企業は不足人数1人につき月額5万円(常用労働者数が100人超の企業の場合)を納付しなければならない。企業にとっては納付額の多寡よりも、公共職業安定所(ハローワーク)による指導や社名公表のリスクを避けたいのが本音であり、いまや、ダイバーシティ&インクルージョンの姿勢を重んじるビジネス社会において、障がい者雇用に積極的なのは当然の理なのだ。

 こうした状況から、令和の時代は、就労移行支援の利用者も、一般就労への移行率もまますますアップしていくことは間違いないだろう。

3.
就労移行者は「職場」に定着できているのか?

 しかし一方で、数字の細部を見れば、全国に約3400ある就労移行支援事業所の各々の移行率には相応の差異があることが分かる。2016年(平成28年度)のデータによれば、移行率0%――つまり、利用者(主に障がい者)の誰も就労できなかった施設が、実に全体の約30%を占めているのだ出典3
。 また、独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構の調べでは、就労した精神障がい者の就労1年後の職場定着率は約49%で、せっかく就労しながらも、約半数が1年以内に職場を去っている事実が垣間見れる。

 就労移行支援を行う事業所は、就職後6カ月間は就労者との面談(対面)や電話連絡といった「継続支援」を行い、離職を避ける努力をしている。それでも、症状の悪化や仕事のストレスなどにより、職場を離れてしまう者が後を絶たない状況だ。

 前述のように、就労移行支援の最長利用期間は2年だ。原則として、2年利用してしまう(積算含)とそれ以降は就労移行支援サービスそのものを受けることができなくなってしまう。企業にとっても離職者の出現は大きな痛手であり、できるだけ長く働く障がい者の雇用を実現したいはずだ。そのために、企業には就労移行支援事業所とのいっそう密な連携が必要となる。

● 企業による障害者雇用の状況は、まだ道半ば

 2018年(平成30年)3月に厚生労働省が告示した「障害者雇用対策基本方針」には、「就労支援及び定着支援の更なる充実を図ることや、職場定着支援や生活面も含めた支援等により、障害者の雇用の継続・安定を図りつつ、障害の種類及び程度に応じたきめ細かな対策を、総合的かつ計画的・段階的に推進していくことが必要である」と記されている。

 2020年7月現在、この基本方針に則った障がい者の就労移行支援と企業による障がい者雇用は、まだ道半ばだ。

 一般社団法人 精神・発達障害者就労支援専門職育成協会代表であり、医療法人社団欣助会吉祥寺病院にて医療型の就労支援を行っている清澤康伸氏は次のように語る。

  「人事担当の方も含め、企業は障がい者の病状のことや障がい者雇用についてとてもよく勉強をされています。ところが支援機関側は、利用者の送り出し先である企業についての勉強が足りなかったりします。企業の論理を知らずに就労支援を行ってしまう支援機関が少なくありません。そのため、企業と支援機関では障がい者雇用についての認識に温度差があるように感じています。また、国内において、体系的かつ具体的な就労支援のノウハウを習得するためのインフラが整備されているとは言いづらい状況があります。就労支援員の定義も明確になっていません。そのため支援員の質が担保されていないことで支援にばらつきが出ています。支援員の質が担保されていないことや企業を知らずに就労支援を行うことで、就労率だけでなく、定着率も悪くなります」

 次稿(障がい者雇用のいま〈2〉)では、国内ではまだ珍しいが、今後の障がい者雇用の中では重要なカギとなる“医療型就労支援”を行う清澤康伸氏へのインタビューをもとに、就労移行支援機関と障がい者と企業の理想的関係を考えてみる。

 出典1:厚生労働省障害者の就労支援対策の状況
出典2:平成31年2月発表資料 厚生労働省 障害福祉サービスにおける就労支援
出典3:平成28年4月 厚生労働省障害福祉課調べ「就労移行支援事業による一般就労への移行率別の施設割合の推移」
ダイヤモンド・セレクト「オリイジン」/福島宏之
 ※本稿は、現在発売中のインクルージョン&ダイバーシティマガジン「オリイジン2020」からの転載記事「さまざまな障がい者の雇用で、それぞれの企業が得られる強み」に連動する、「オリイジン」オリジナル記事です。


【知識】
【犯罪を重ねる親の介護を拒否したい! 子は親を「介護しなければ」いけない?】
7/31(金) 18:16配信 掲載略


【社説:児童虐待とDV 包括的な支援の構築を】京都新聞7/31(金) 16:00配信

事件を教訓に、今年4月に施行された改正児童虐待防止法などに児相とセンターなどの連携強化が明記されたが、壁の一つとなっているのが縦割りの行政だ。
 窓口になる自治体では、虐待とDVの対策担当が分かれ、根拠法もそれぞれ異なる。所管も児相は厚労省、センターは内閣府だ。
 加えて、厚労省の調査では「支援対象に介入する児相と、DV被害者の相談を待つセンターでは対応に温度差がある」(児相)、「保護や支援の考え方が異なり、情報提供が一方通行になる場合がある」(センター)など、支援や介入についての双方の見解の違いを指摘する意見もあった。


高野倉弁護士:「自分で介護する必要はありませんが、経済的援助(扶養)をする必要はあります。まず、子ども自らが父親を介護する必要はありません。
これは、父親が犯罪を重ねていてもいなくても同じです。大人になった子どもには親を扶養する義務があります(民法877条1項)。


【記事】


【発達障害「専門医の多くが誤診してしまう」理由】東洋経済8/4(火) 5:35配信岩波 明 :精神科医
近年注目を集める「発達障害」。実は医師による「誤診」も少なくないという。発達障害の患者が誤診によって受ける被害の実態とは?  精神科医の岩波明氏による新書『医者も親も気づかない 女子の発達障害』から抜粋・再構成してお届けします。

実のところ、著名な精神科医や発達障害の専門医であっても誤診がまれではありません。例えば「うつ病と診断したけれども、発達障害だった」「ASDだと診断したが、本当はADHDだった」などということは、しばしば見られています。
 もちろん、私たち自身の診断が絶対に正しいということはありませんし、誤った判断もあることでしょう。
 ただ、私たちの外来に紹介されて受診する患者さんを見ていると、多くの先生方には、発達障害の基本的な点が浸透していないように思えます。

「誤診」で発達障害が見逃されたケース

 発達障害に関する誤診には、いくつかの理由があります。1つは、うつ病をはじめとして、対人恐怖症(社交不安障害)やパニック障害などの不安障害、躁うつ病など、発達障害が原因で起こる様々なトラブルをきっかけに生じる、2次障害との関連が問題となります。
 このような場合、そうした2次障害に対する診断と治療が先行してしまい、根本的な原因である発達障害が見逃されがちです。こうなると、適切な治療が難しくなる事が珍しくありません。
 例えば、うつ病と診断されて抗うつ薬を飲み続けたが症状が改善されない、ADHDの治療薬に切り替えたら劇的に改善した、といったケースが実際に存在しています。「うつ病と診断されたものの、実は発達障害だった」という事は、よくある話です。
 患者本人が「私はADHDだと思いますが、どうなのでしょうか?」と主治医に言っているにもかかわらず、「いえ、うつ病であることは確実です」「発達障害というのは考えすぎ」などと言って、正しい診断に行き着かない例が後を絶たないのが現状です。
 また、ADHDとASDの区別も、非常に曖昧で難しい面があります。ADHDなら多動・衝動性と不注意、ASDなら対人関係のトラブルとこだわりの症状など、それぞれ典型的な特性があるのは確かですが、臨床の場面では、両方を同時に示すようなケースにも頻繁に出合います。

2.
例えば「話し出したら止まらない」のは、ADHDにもASDにも見られる症状です。ADHDの場合は「思いついたことを言わずにいられない」衝動性が原因であるのに対して、ASDの場合は「他人に対する無関心、配慮のなさ」が原因ですが、見かけの症状は同じなのです。
 さらに付け加えるなら、子どもの場合は両親からの虐待が引き金になり、「愛着障害」といって、ADHDやASDによく似た症状が表れるケースも見られます。
 医師の側の問題もあります。もともと発達障害の専門医の多くは、自閉症やアスペルガー症候群などのASDを専門としていました。そのため、診断もASD寄りになる傾向があるのですが、実際にはASDよりもADHDのほうが何倍も症例が多いのです。
 しかし、これはある程度やむをえない面があるのかもしれません。というのは、これまでの児童精神科において治療の対象としていた発達障害は、ASDの中でも最も重症の自閉症であり、さらにその多くが知的障害を伴うケースだったからです。
 これに対して現在、成人の女性の発達障害においては、主な疾患はADHDであることに加えて、知的レベルは正常かそれ以上の例が大部分です。つまり、対象としている患者層が、以前とはまったく異なっているのです。
■「グレーゾーン」の患者も多くいる
 さらに厄介なことに、「発達障害か、そうでないか」についても、線引きが曖昧です。そもそも精神科の診断には、白黒はっきりつけがたい「グレーゾーン」が多く含まれています。
 発達障害も、発達障害という確定的な診断はつかないにしても、発達障害的な特性によって、日常生活に問題を抱えているケースがよくあります。つまり、ASDもADHDも、「スペクトラム」なのです。
 例えば、ADHDと断定はできないけれども落ち着きがなくて忘れ物が多い人、ASDと診断するほどではなくても空気が読めずに人の輪に入れない人などは、たくさんいます。

 発達障害とそうでない人の間には明確な区別が存在しているわけではなく、様々なグラデーションが存在しています。その為、「この一線を超えたら発達障害」という線引きは、医師ごと、病院ごとに委ねられています。

3.
ある病院では「発達障害でない」と言われ、別の病院では「発達障害だ」と言われるケースも少なくありません。
 しかし、発達障害に限らず、ほとんどの精神科の疾患には数値で表せる明確な指標は存在していません。血液検査の数値など、なんらかの検査で白黒つけられるわけではないのです。
 それでも、現在の症状とこれまでの経過について多くの「情報」が手に入るなら、ほぼ間違いのない診断が下せると思います。しかし、それには本人の子ども時代にまでさかのぼって、話を聞かなくてはなりません。本人の記憶が曖昧なことも多いし、本人は「私は普通の子だった」と思っていても、周囲は「すごく変わった子だった」と思っているケースも多く、なかなか簡単なことではありません。
■家族が当てにならない問題も
 現実には、情報不足によりグレーゾーンとして扱わなければいけないケースであっても、情報がそろったことで、後になってから発達障害だと確定するケースがあることは、十分に考えられます。
 さらに、情報を得るにあたって、親などの近親者が必ずしも当てにならないことも、大きな問題です。非常に熱心な家族も存在している一方で、子ども時代のことはよく覚えていないという親や、そもそも発達障害の存在そのものを頭から否定する人も存在しているからです。
 繰り返しになりますが、発達障害は生まれつきのものですから、「治す」という言い方は適切ではありません。しかし、本人にその意志があるなら、日常生活で問題が起こらないように、問題となる部分をカバーすることは可能です。
 それにはまず、自分の特性を理解することが大切です。さまざまなトラブルは、その自らの特性が原因で起きている、ということを知る。そのうえで、どうしたらトラブルを防げるか、具体的に考えていくことになります。
 例えば「上司の指示をすぐ忘れてしまう」なら、すぐに「メモを取る」。「マルチタスクが苦手」なら、「複数の仕事を同時に進めるのではなく、1つの仕事を終えてから次の仕事にとりかかる」習慣をつける。
 自分が上司の立場なら、ASDの人に出す指示は、できる限り具体的にします。例えば、期日はいつなのか、ほかの仕事より優先するべきなのか。「適当にやっておいて」は、ASDの人には厳禁です。文字どおりに解釈して、「いい加減に」仕事をしてしまうかもしれません。

4.
こうした工夫そのものが難しい環境であるなら、今度は環境を変えることを考えます。極端な話ですが、対人関係が苦手なASDの人も、「研究室にこもりきりで、他人と交流しなくていい」といった環境で働けるのであれば、問題は顕在化しないかもしれません。実際、高名な科学者や研究者において、ASDの特徴を持つ人は少なくありません。
 ASDでもADHDでも、多くの場合、理解力自体は普通に持っています。何が問題で、どうすれば解決できるのかさえ理解できれば、対処できる場合が大半です。

■「変えようがない人間」もいる

 方で、こんなケースもあります。ADHDの人には、分らないというより、アドバイスを「受け入れたくない」人が全体の2~3割はいます。
 アドバイスの内容そのものは理解できでも、やりたくない、やろうとしない。人の言う事を聞きたくないのです。これには自分の意志を押し通そうとする傾向が強い事もありますが、そもそも他の人の話を聞く事が得意ではないのです。
 ASDの人は、変えたくても、「変えようがない」ケースもあります。いくら能力が高くても、「マイルール」へのこだわりが強いと、変えた方がいいと分っていても、なかなか変えられません。
 あるASDの女性は、非常に高い能力がありました。大学を卒業して10年以上のブランクのある主婦だったのですが、大学の研究室でアルバイトを始めると、英語論文を書いて海外の雑誌に掲載されるほどになりました。
 しかし、対人関係がまるで苦手でした。研究室のトップに理解があるため長く勤めていられるのですが、対人関係が改善する様子は見られません。
 「こうしてみたら」と私がアドバイスをしているのですが、なかなか周囲との関係を変える事ができません。そのため、研究成果を上げてはいますが、彼女はほとんど1人で仕事をしています。


【「おかねのけいさんできません」男性自殺:追い詰めたのは自治会か、私たちか】碓井真史 | 新潟青陵大学大学院教授(社会心理学)/スクールカウンセラー
7/31(金) 20:24
【「おかねのけいさんできません」男性自殺 障害の記載「自治会が強要」】
毎日新聞
 知的・精神障害がある男性(当時36歳)が自治会の役員らに障害者であることを記した書面を書くよう強要され、自殺したとして、男性の両親が自治会と役員らに計2500万円の賠償を求める訴えを大阪地裁に起こした。両親によると、男性は「おかねのけいさんはできません」などと障害の影響についても詳しく書かされ、他の住民にも見せると告げられた翌日に自殺していた。7月31日に第1回口頭弁論があり、役員らは争う姿勢を示した。
 ◇遺族が提訴、自治会役員らは争う姿勢
 訴状などによると、男性が1人暮らしをしていた大阪市内の市営住宅では2019年11月、自治会の班長を住民同士がくじ引きで選ぶことになった。男性は障害を理由に選考から外してもらうよう役員らに求めたが、「特別扱いできない」と聞き入れられなかった。
 役員らは集会所で男性と対応を話し合った際、障害があることや日常生活への影響を記すよう要求。男性が書面を作成すると、役員らは他の住民にも書面を見せて男性のことを紹介すると説明したという。翌日の11月25日、男性は自宅で命を絶った。
 書面は便箋2枚に手書きでつづられ、「しょうがいか(が)あります」という言葉で始まる。「おかねのけいさんはできません」「ひとがたくさんいるとこわくてにげたくなります」「ごみのぶんべつができません」などと苦手なことを列挙し、文頭に×印を付けた。「となりにかいらんをまわすことはできます」などと、可能なことには○印を付けたとみられる。
 ◇両親「障害有無は個人情報」
 両親は「障害の有無などは他人に知られたくない個人情報。必要性がないのに本人の意思に反して書面作成を強要した」として、プライバシーや人格権の侵害を主張。他の住民に見せると伝えて心理的な負担をかけており、役員らは自殺を予見できたと訴えている。
 一方、役員は「どうすれば他の住人の理解を得ながら、男性を班長選出から外せるか模索した」として、強要を否定。書面の作成については「嫌がっているそぶりはなかった。ストレスのない方法を選択して適切だった」と主張している。
 近くに住む兄(41)によると、亡くなる前夜、男性は「言いたくないことまで根掘り葉掘り書かされた。さらし者にされる」とため息交じりに話し、落ち込んでいたという。兄は「弟は真面目でおとなしく、障害もあって他人に指示されると抵抗できなかった。自殺に追い込んだのは許せない」と話す。【伊藤遥】

 ◇自殺した男性が書かされたとされる書面(一部)
 しょうがいか(が)あります
○2500えんは ふうとうにいれれます
×おかねのけいさんはできません
○1たい1ではおはなしできます
×ひとがたくさんいるとこわくてにげたくなります
○となりにかいらんをまわすことはできます
○ひととあったらあたまをさげることはできます
×いぬとかねこはにがてです
×ごみのぶんべつができません
○自てんしゃにはのれます
○せんたくはできます ほすこともできます
○どこでもすーぱーこんびにはかいものできます
○くやくしょびょういんにはいけます
×かんじやかたかなはにがてです


 ◆相談窓口
 ◇いのちの電話相談
 0570-783-556=ナビダイヤル 午前10時から午後10時まで
 ◇自殺予防「いのちの電話」
 0120-783-556(なやみこころ)=毎月10日(午前8時から~11日午前8時)にフリーダイヤルの電話相談
 日本いのちの電話連盟はこちら(http://www.inochinodenwa.org/)
 全国のいのちの電話はこちら(http://www.inochinodenwa.org/lifeline.php)
 ◇東京自殺防止センター(NPO法人国際ビフレンダーズ東京自殺防止センター)
 03-5286-9090=年中無休、午後8時~午前5時半(毎週火曜日は午後5時~午前2時半、毎週木曜日は午後8時~午前2時半 http://www.befrienders-jpn.org/)

【3歳女児放置死の悲劇… 「自己責任化」された施設出身者が味わう現実】現代ビジネス7/25(土) 11:01配信 安發 明子(在パリ 通訳/コーディネーター/ライター) 7月10日、東京都大田区の自宅に3歳の娘を8日間放置し、餓死させた疑いで母親が逮捕された。その間旅行していた理由について「子育てに疲れたからリラックスしたかった」と供述しているという。3歳児検診は受けさせておらず、昨年保育料が払えないとして保育園をやめていた。
 報道によると、母親自身も小学生のとき実母と養父から身体的虐待や育児放棄を受けて保護され、18歳まで児童養護施設で過ごしたとされている。また、亡くなった子どもの父からはDVを受け離婚したそうだ。
 児童養護施設や里親のもとで育った人を対象とした調査では21.9%が新型コロナウイルス感染拡大による雇用環境の急変で経済的に困窮していると回答しているという報道もあった。そのなかで相談したり支援を求めたりできる人がいるのは2割にとどまり、孤立も見られるとしている。
 これらは何重ものケア不足の結果起きている。
 (1)心のケアの不足、(2)十分な道具を持って社会的養護から送り出されていない、(3)社会的養護出身者支援が足りていない、そして(4)親を支える機会の不足。最後については以前の記事で述べたので、今回は主に最初の3つについて書きたい。
 厚生労働省によると日本全国で2万7000人が児童養護施設で暮らしている。毎年施設を出る人を積算すると少なくない数だ。
 実際施設で子どもたちにインタビューをすると親も施設を経験していたり親戚に預けられていたという話はよく聞くし、生活保護の現場でも施設を経験している人や他の家に預けられて育った人に多く出会った。
 虐待が繰り返されないよう、負のサイクルを止める福祉について改めて取り組むことができないだろうか。フランスの福祉を参考にヒントを探る。
(1)心のケア
 日本の社会的養護の現場では長い間小児精神科医や小児専門心理士によるケアが十分おこなわれてこなかった。専門家の数も限られている上、親の了解が得られなかったり、他の子どもたちから特別な目で見られないようにという配慮で二の足を踏んでいる施設もあった。
 フランスでは1900年代を生きた精神分析家フランソワーズ・ドルトが今でも児童福祉の現場に大きな影響を与えている。
 その考え方とは、例えばまわりの人とトラブルを起こしやすい、取り組みが長続きしないなどの症状があるとしたら、それは幼かった頃の経験が解決していないためであり、話すことで辛かった経験を思い出し、言語化することでその封印していた気持ちを表出することができ、ケアしていけるとしている。
 児童福祉施設で働く心理士は子どもがした経験を説明し感情を表出することの重要性も強調する。それぞれ子どもにとって重い経験をして施設に来ている。泣いたり怒ったり感情の浮き沈みを経験する子どもよりも、いつも笑顔で過ごしている子どもの方が心配は大きいと言う。
 親と離れて暮らすようになった事情や暴力の経験など、子どもが傷を感じる思い出や疑問のままであることについて、子どもにはそれが起きた理由を時には親も交え一緒に考え、子どもが自分の言葉で気持ちや感情を表現できないと、子どもは大人を信用しなくなり頼らなくなる。
 フランスの児童養護施設では子どもへの教育サポートと心理ケア、そして親の支援が3つの柱とされている。
 週2回の心理士との面談を設けていたり、心理士が一緒に絵を描くアクティビティをしたり一緒に旅行するなどの活動を通じて子どもたちは自分の過去や現在に向き合う機会が多く設けられている。
 自分の身に起きたことを理解し、現実を受け入れたら、次のステップとして自分の未来を築き始めることができ、親以外の大人から差し伸べられた手も受け取れるようになるという考えである。
 なので、日本の施設の子どもたちがおとなしく我慢強いのに対して、フランスの子どもは怒鳴ったり叫んだり物に当たったり感情的で驚く場面がある。
 私自身も最初は問題なく過ごせているのであれば、過去を掘り起こす必要はないのではないかと思っていた。心理士を交え、虐待した親が親自身の幼少期から歴史を遡って子どもが施設に来るまでを話すのは子どもにとって重すぎるのではないかとも心配した。
 しかし、心の整理がつくとみるみる成績をあげ、すっきりした顔になっていく子どもを見る機会がある。「こわごわ歩いていたのが、自分でバンバン踏みしめて歩けるようになった」と言う子どももいた。心理士によると、本人の可能性を引き出すだけでなく、その子ども、孫の世代が幸せに生きられるためにもケアしておくことが重要であると言う。
 逆に言えば、トラウマを治療せず、生い立ちに関する疑問に答えず努力だけするよう子どもに言うのは無理があるということである。精神医学、心理学、脳科学の分野で得られた知識を、特別ケアを要する社会的養護の子どもたちに生かそうという考えがある。
 以前も引用したが、パリ市児童保護セクションの責任者はこのように話す。
 「子どもを守れば守るほど、将来、行動障害や精神的な医療が必要、住居や社会保障のお金が必要な大人を減らすことができる。教育を受けられケアされた子どもは、ケアを受けられなかったときより、よい社会の未来を作ることができるということを共通認識にする必要がある」
 可愛がっていた我が子を放置死させてしまった母親も、ケアを受けることができていたら、母親も子どもも幸せになることができたはずだと思わざるを得ない。

2.
(2)十分な道具を持って送り出されていない
3歳児放置死についても母親は居酒屋で働き、単身で保育園を利用せず子育てをしており頼る人もいなかった。
 日本で母子家庭の貧困率は50%を超えているということをどれだけの中高生女子が認識した上でキャリアを考えているだろう。
 社会的養護について「家庭の代替」という捉え方があることにより、本来一般の家庭よりもケアと教育を要する子どもであるにもかかわらず、十分な予算と人材が充てられていない。
 自立支援についても強化されつつあるが、実際に半年に1回学校や親など関係者も招いて会議を開き、さらに子どもと振り返りをして次の半年の目標を立てるということが体系的におこなわれているとは限らないようである。
 日本で施設出身者に、当時一緒に施設にいた仲間たちの現状を聞いても明るい話は多くない。
 そもそも日本の仕組みでは社会的養護の子どもは長年の学業を要する医師や弁護士になる道が拓けていない。厚生労働省の資料によると 2018年の一般の大学進学率は52%であるのに対し施設では14%、一般の高卒者の就職率は18%であるのに対し施設では63%だ。大学院まで行った友人は700万円の奨学金貸与を受け、その返済のプレッシャーの中で生きている。学費が高いということで大きな不公平がある。
 資格や学歴だけではない。私は生活保護の現場において十分な「道具」を持って社会に出られなかった場合の不利に何度も直面してきた。
 コミュニケーション能力、トラブルを克服するスキル、自信、何かを成し遂げてきた経験、生きることについての肯定的な気持ち、幸せになると信じられる気持ちなどを得るためのチャンス。特に自信や自尊心があれば挑戦できるし、挫折しにくい。
 フランスでは心のケアを優先した上で自分自身の人生を築く準備ができたら「どれだけたくさんの道具を持たせるか」「社会的資源をどう増やしていくか」ということが施設や里親、児童相談所職員にとっての議論のテーマとなる。
フランスは学費がほぼ無料、大学でも収入があっても年間3万円程度、職業専門学校も無料のところが多いのは公平性という点で大きな価値がある。さらに25歳までは生活費の保障をもらいながら職業訓練を受けたり、給料をもらいながら資格を身につける方法もある。学業やキャリアという点では若いうちは特に不公平が少ない。
 さらに社会的養護では、親が与えられなかったことを与え困難な環境の中で生きていくための力を身につけられるよう多くの機会を作る。
 ある15歳の男の子は個別指導で通信制高校の卒業資格が得られる学校に通い、習いたかったタイボクシングを習い、ゲーム依存気味だったのでゲーム制作会社に毎週通ってゲームのプログラミングを学びプロたちに認められ、アニメ好きだったので日本に3週間ホームステイしてその間日本のフリースクールに通わせてもらった。
 そのように本人のしたいことを実現させていく中で、人を信頼したり頼ることを覚え、挑戦をして自信をつけ、生きることへの肯定的な気持ちを育てようとする。生きる力をつけるため個別に支援し、特に頼れる人、資格、職業経験、自尊心を獲得してから送りだすことにこだわっている。
 それでも途中で飛び出してしまったり、犯罪組織に勧誘されたりすることもあり、困難な経験をしてきた子どもたちの育ちを支えるのは簡単なことではない。フランスではホームレスの2割は施設出身者だったという調査結果もあり、毎年当事者や児童福祉関係者たちが取り組みの改善と予算拡大を求めている。
 国では戦略として政策決定の場に出身者や当事者を参加させることを定めており、国や県だけでなく各施設の方針会議にも施設出身者や当事者が役員として参加している。
 放置死させてしまった母親は十分な道具を持っていなかった上、彼女が出て行った社会は所得が高くなく頼れる人もいない母子を十分に支えることができなかった。
 保育園退所や離婚も子どもと親の状況を確認する機会とすることができる。
 フランスは裁判によってしか離婚できず共同親権なので、裁判の際に専門家が父母それぞれの育児能力を判断した上で育児の分担を決めたり、経済状況についても確認できる。暴力など問題がなければ父親も育児に参加する。保育も給料の約1割の金額で受けられ特に片親家庭は優先的に利用できることなどの配慮もある。保育園に入れてもすぐに働かず資格取得を勧める傾向もある。
 母親のことを「おかしい」という報道もあるが、自分が同じ境遇だったらと想像するととてつもなく大変な環境ではないだろうか。

3.
(3)支援組織が足りていない
助けを求めなかった母親が悪いと言うだけでなく、実際助けを求めやすい環境かどうかの検証も必要だ。
 日本でもフランスでも施設を出るとき「二度と福祉のお世話にはならない」と宣言する人はいる。フランスの社会学者Labacheらによる研究では出身者の多くに「人生を救ってくれた人たちに対し大きな借りがある気持ちがある」としている。
 施設出身者と福祉をつなぐ仕組みは十分だろうか。日本では施設出身者の支援組織は多くない。
 それなのに施設出身者のぶつかる現実は簡単ではない。
 私は生活保護の仕事をしている中で地域の不動産屋と知り合い、独居高齢者が亡くなった安いアパートを家具電化製品つきで敷金などなしで融通してもらい施設出身者で住居のない人に繋いだりしていたが、体系的な支援がなかったからこそ見つけた方法だった。
 退所後1年以内に就職者の半数が転職又は退職を経験しているという調査結果を報告している県もある。私も、施設出身者が職場で計算の合わないお金の責任を押し付けられたり、給料からペナルティを引かれたり、結果的に最低賃金以下で働かされているなど相談を受けてきた。
 フランスでは施設出身者の支援機関を各県に設置している。そこでは二つの役割を担っている。一つは政策決定側に施設入所者や出身者の声を代弁すること、もう一つは出身者や入所者を福祉につなぐことである。
 フランスでは1943年に施設出身者や養子として育った人専門の支援組織を各県に作ることが法律で定められた。3ヵ月以上児童相談所のフォローを受けた人であれば生涯困ったときに助けを求めることができる。加盟者が3万人を数える。
 公的資金がほとんどであるところや参加者の寄付や遺産や不動産の提供が多いところなど財源はそれぞれで、支援の内容も県により違いがあるが、国と県から合わせて日本円にして年間3億2千万円の活動資金を受け取っているところもある。
 セーヌ・サン・ドニ県の支援組織は職員が38人で全員ソーシャルワーカーの資格を持っている。102軒の住居を持ち月収入が6万円以下の人には月3000円の家賃で提供。その間に自立支援をおこない、精神的ケアも提供している。
 その他にも自立支援プログラムを用意し、精神的肉体的健康回復、金銭管理や借金の整理、就労支援、返済不要の奨学金の手続き、法律問題の解決などをサポートしている。ここの職員が付き添ってその人が受けられる諸々のサービスにつないでいる。
 パリ市の支援組織では施設出身者同士知り合う機会を多くもうけ、友達同士のようなネットワークで助け合い、施設出身者で現在児童福祉の分野で専門家として働いているスタッフがコーディネーターとして困難な状況にある人を福祉につなぐ支援をしている。
 先のLabacheらの研究では、施設出身者には借りの気持ちがあるからこそ、義務のように「自分も人に与えられるようにならなければ」と考える人も多く、実際他人をケアする職業、困難な状況にいる人を助ける仕事に就く人が多いことがわかっている。
 支援組織は支援者縁組機関と協業しているところもあり、支援者縁組機関が施設出身の若者1人に支援者1人を縁組し、ボランティアである支援者が仕事探しだけではなく「社会的親」として継続して相談にのる。
 日本での「職親」にも近いが、職業人生だけではなく血のつながりはないが親戚のような長い関わりを重視するスタイルだ。
 これだけ心のケアに力を入れて本人が力を発揮できるようにしているのも、生きていくための道具を持って卒業できるようにしているのも、福祉とつなぐ役割として支援組織を作っているのも、困難な経験をしたり傷ついた子どもを支えることは簡単なことではないからである。
 だからこそフランスは予防に力を入れリスクを防ぎ、困難を経験した子どもにはその次の世代も見越してケアしようとしている。
 困難な状況で生きざるを得ない人たちがいるという現実を認め対策を用意することと、「少数なのではないか」と自助努力・自己責任を押し付けるのとでは国としてのスタンスは大きく違う。
注:セーヌ・サン・ドニ県の児童養護施設での3年間の長期観察、その他にセーヌ・サン・ドニ県とパリ市の児童相談所、施設出身者支援組織、支援者縁組機関等での調査を元に書いている。制度の運用面が他県、他団体では異なる場合がある。
引用:
https://www.tokyo-np.co.jp/article/41827
https://www.tokyo-np.co.jp/article/36049
パリ市児童相談所出身者の支援組織
https://www.adepape75.com/
支援者縁組機関
「社会的養育の推進に向けて」令和2年4月厚生労働省子ども家庭局家庭福祉課
Françoise Dolto, 1985, La cause des enfants.
Labache Lucette, Mihai Dinu Gheorghiu, 2009, « Les anciens de l’ASE de Seine-Saint-Denis: Profils de vie après la sortie du dispositif de protection », Caisse nationale d’allocations familiales, Informations sociales, 2009/6 n.156, p.92-99.
Isabelle Lacroix, 2016, « Les associations d’anciens placés : des intermédiaires dans l’accès aux droits sociaux des jeunes sortant de la protection de l’enfance », Agora débats/jeunesse, 2016/3 n.74, p.89-100.
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安發 明子(在パリ 通訳/コーディネーター/ライター)



【子どもの自殺、調査や公表阻む学校 遺族不安あおる発言の数々】47 News 7/21(火) 7:02配信

「マスコミが大騒ぎします」「家族がつらい思いをしますよ」。子どもを自殺で亡くした両親の不安をあおり、問題の公表や調査の断念を促す―。学校が「事なかれ主義」で不誠実な対応を取るケースが絶えない。遺族に寄り添ってきた関係者は「真相解明を求めて声を上げる遺族はごくわずか。問題は氷山の一角だ」と訴え、失った命から学ぶ姿勢を示すよう求めている。(共同通信=沢田和樹)
▽「マスコミがめちゃくちゃにする」
 2018年8月、さいたま市立南浦和中1年の男子生徒が自ら命を絶った。母親によると、その日のうちに当時の校長が自宅を訪れ、「公にすればマスコミが告別式をめちゃくちゃにしますよ」「保護者会で遺族が説明する必要があります」と発言した。両親は校長の提案に沿い、他の生徒らへの説明を「不慮の事故」とすることに同意した。基本的な調査は自殺の事実を伏せて行われ、原因は不明とされた。
 両親は、自殺前日にバドミントン部の男性顧問から母親に「男子生徒が練習を休んで外出していた」と電話があり、生徒が不安そうにしていたことや、顧問の指導が乱暴だとうわさになっていたことから、原因は顧問にあるのではないかと疑っていた。
 両親は、自殺前日にバドミントン部の男性顧問から母親に「男子生徒が練習を休んで外出していた」と電話があり、生徒が不安そうにしていたことや、顧問の指導が乱暴だとうわさになっていたことから、原因は顧問にあるのではないかと疑っていた。
詳しい調査を求めるか考えていた18年12月、自宅を訪れた校長は「勉強してきたことを説明する」とし、第三者委員会に言及。調査対象は地域住民に広がり「必ず(情報は)漏れる」「朝、突然報道陣が自宅を取り囲む」「写真をずるい週刊誌がネットに上げる」「(男子生徒の)妹にも調査が入る」と不安をあおった。
 19年1月には、春に同校へ入学予定だった妹をサポートする意向を示しつつ、調査が始まれば「妹は置いといて(自殺した)男子生徒の方にずっといかなきゃいけないこともある」と発言。調査の対応に追われ、妹への配慮が行き届かなくなると示唆した形だ。
 不安を覚えた両親は第三者委設置の要望を一度断念した。後に支援者の後押しで改めて要望し、第三者委が設けられ、今も調査は続いている。
 報道で自殺の事実が明るみに出た19年7月、校長は取材に自殺当日の発言を否定した。「遺族が大ごとにしたくないと言うので『不慮の事故という方法がある』と提案しただけだ」と釈明した。

2.
一方、第三者委の話題になった際に「写真が流出し、根も葉もないうわさが流れる」と説明したとし「座間の事件は警察が入っても抑えられず大変だったと思う。そういうのが頭にあった」と話した。生徒の自殺に関する調査と、神奈川県座間市のアパートで17年に男女9人の切断遺体が見つかった殺人事件を同列に扱っていた。
18年12月と19年1月の発言は遺族がやり取りを録音しており、母親は今年2月、音声データを第三者委に提出した。校長に改めて取材すると「調査に関わることは口外しないよう第三者委に指示されている」と口を閉ざした。校長は3月末で定年退職。4月に市立小の学校地域連携コーディネーターに再任用され、学校運営への協力を住民に求める役割などを担っている。

 ▽娘を人質に
 子どもの自殺に関する第三者委で委員を務めた経験のある千葉大の藤川大祐教授は「校長の発言は不当な脅迫だ。マスコミが騒ぐという決めつけは偏った考えで、第三者委が妹から強制的に話を聞くこともない。根拠のない情報で遺族の意思決定に影響を与えたのは職業人としてあるまじき行為」と批判し「遺族の要望を誠実に聞き、調査で生じるデメリットを避けるべく努力するのが筋だ」と強調した。
 校内アンケートで、顧問が部活中に他の部員の胸ぐらをつかんだり、「おまえ、存在する意味あるのか」と暴言を吐いたりしていたことが分かっている。「(自殺した生徒が)圧をかけられていた」と答えた生徒もいた。
 学校と市教委は顧問の部内での暴言や体罰を把握し、内部文書に「顧問は暴言が激しく、人格を否定するような発言があった」と記している。しかし、両親から問われても「早く走れ」などと大声を出す指導にとどまっていたとし、詳しく説明しなかった。
 母親は「都合の悪い情報を隠し、信用できない。娘も調査されると言われ、人質に取られたようだった。第三者委には校長の対応も検証してほしい」と語った。
▽かん口令
 「遺族への配慮がなさすぎる」。憤るのは、19年3月に宮城県亘理町立中2年の男子生徒を自殺で亡くした父親だ。父親によると、生徒の死亡後、病院の待合室で当時の校長から保護者会を開くかどうか問われた。「マスコミが押し寄せる」と言われ、父親は「そっとしておいて」としか答えられなかった。

3.
自殺前、生徒は男性教諭から背中のシャツが出ていることを「赤ちゃんみたいだな」とからかわれたと泣きながら両親に打ち明けた。「死にたくなるときがある」と話したことも。父親はこれらを学校に伝えていた。
自殺の翌月、父親は「教諭の不適切な言動が自殺の原因では」と記者会見で訴えた。すると、町教委の担当者から「話が違う」という趣旨の電話があった。その後の保護者会で、町教委側は多くの質問に「調査中」としか答えなかったが、説明が遅れた理由は「遺族の意向」と明言した。父親は「そっとして」の一言が都合よく利用されていると感じた。
 別の県の中学で生徒の自殺を経験したある男性教諭は「校長がすぐにかん口令を敷いた」と振り返る。「亡くなった子のため」と諭されたが、後に生徒が同級生に金品を脅し取られ、担任らは放置していたと聞いた。「責任追及を恐れたのは明らか。うまく丸め込まれてしまった」と悔やむ。

▽「命から学ぶ姿勢」
 文部科学省の「子どもの自殺が起きたときの背景調査の指針」は、全事案で詳しい調査をするのが望ましいとし、少なくとも学校生活の要素が背景に疑われる場合や、遺族の要望がある場合は専門家を加えた調査をするよう求めている。
 ただ、全国自死遺族連絡会(仙台市)の田中幸子代表理事の元には「学校が調査してくれない」との相談が相次ぐ。田中さん自身、警察官だった長男を自殺で亡くした。「突然遺族になり、自分にどんな権利があるか分からないのは当然。抱え込まず、必ず弁護士や民間の支援団体に相談して」と求める。
遺族に付き添い、学校や教委の担当者と面談してきた田中さん。事態が公になるのを恐れて矮小化(わいしょうか)を図るあまり、遺族に不信感を抱かせ、記者会見などで問題が大きくなる例が目立つと感じる。
 「どれだけ調査を尽くしても死んだ子どもは戻らない。遺族が完全に納得できることはない。だからこそ、学校や教委はせめて遺族と信頼関係を築き、失った命から学ぶ姿勢を示してほしい」

【「支え合いの輪広げたい」 夜の街で働く親に食品を無料配布(埼玉・川口市】福祉新聞
 夜の街で働くシングルマザーらに食品を無料配布するフードパントリーが月1回、埼玉県川口市で開かれている。3回目の開催となった7月5日は、29世帯(88人)に市や企業などから寄付された米、缶詰、乾麺、菓子、飲料などが手渡された。子ども用に七夕の笹と飾りや、支援制度のガイドブックも配られた。  この活動を行うボランティア団体「ハピママメーカープロジェクト」の代表、石川祐一・菜摘夫妻も夜の街で働いている。祐一さんは「夜の世界で働く人には社会的な支援が届きにくく、当事者も支援の対象かどうか分からないと思ってしまう」と言う。  当初は託児サービスなどのシングルマザー向けの支援活動を計画していたが、新型コロナウイルスの影響による休業で生活が困窮しているといった相談を受け、子ども食堂などの支援を得てフードパントリーを始めた。

 食品配布を受けるには事前の申し込みが必要だが、身分証明などは求めていない。初回から申し込み者は1・5倍に増え、愛知県や大阪府からの問い合わせもあったという。  小学1年の子どもがいる30歳のシングルマザーは「今は夜の仕事を休んでいる。学校が休みだった時は、3食作るのは大変だった。お金もかかるので助かる」と話す。  会場では社会福祉士が気軽に相談を受けたり、以前、夜の街で働いていた女性がボランティアスタッフとして参加したりしている。  祐一さんは「夜の仕事の人を排除するのではなく、誰でもいつでも、困っている人を助け合う支援の輪をつくっていきたい」と話している。

【DVの一時避難先に社会福祉法人 安定した受け皿に〈政府〉】福祉新聞7/15(水) 10:02配信政府は7月1日、「すべての女性が輝く社会づくり本部」(本部長=安倍晋三首相)で、「女性活躍加速のための重点方針2020」を決定した。配偶者からの暴力(DV)の被害者の一時避難先として、空き部屋を持つ社会福祉法人を活用する方針を盛り込んだ。2016年4月から社会福祉法がすべての社会福祉法人の責務とした「地域における公益的な取り組み」として法人側に受け入れを促す。地方自治体や法人側には、柔軟に対応することが求められそうだ。 

 安倍首相は同日の会議で「DVの増加、深刻化が懸念されており、相談体制を強化している。被害者の気持ちに寄り添いながら、民間シェルターへの支援など対策を講じる」と述べた。

 DV被害者の一時避難先としては、全都道府県が設置する婦人相談所のほか婦人保護施設、母子生活支援施設がある。一方、民間シェルターの運営団体は18年11月時点で107(このうち社会福祉法人は22)あり、自治体から一時保護委託を受ける。

 民間シェルターが自治体から受ける財政援助は年間約2億円。民間シェルターの運営基盤は弱く、大都市と北海道に集中するなど地域偏在も顕著だ。

 そのため、安定した受け皿を全国的に確保することがかねて課題となっていた。

 そこで空き部屋のある社会福祉法人が注目され、今年の通常国会で指摘が相次いだ。

 改正社会福祉法案をめぐる6月2日の参議院厚生労働委員会では、山本香苗議員(公明)がDV被害者らを受け入れる団体の例を挙げ「地域共生社会の観点から介護、障害福祉、子育て支援の各分野において施設の空きスペースの有効活用をぜひ検討していただきたい」と迫った。

 空きスペース利用をめぐり大島一博・厚労省老健局長は、措置施設の養護老人ホームについて「措置ではなく契約による入所を定員の20%までできる」と答弁。障害福祉施設について橋本泰宏・障害保健福祉部長は「利用者の支援に支障がなければ他の用途に用いることは可能」と答えた。

 同11日の参議院予算委員会でも片山さつき議員(自民)による同様の提言に対し、橋本聖子・内閣府特命担当大臣(男女共同参画)が、「社会福祉法人が地域公益活動として宿泊場所を提供している事例を承知している。そうした取り組みが広がるよう検討を進めたい」と答弁した。


 重点方針は「女性に対するあらゆる暴力の根絶」を最重要課題とし、22年度までの3カ年を「集中強化期間」と位置付けた。

 売春防止法に基づく婦人保護事業の見直しについては、昨年10月の厚生労働省検討会中間報告が新法が必要だと提言したことを受け、「検討を加速する」とした。

 性暴力被害者のうち、相談することに特にハンディを抱えがちな障害者や外国人への対応は、コミュニケーション手段の拡大を進める。児童にわいせつ行為をした教員や保育士の処分については厳罰化を検討する。

 内閣府によると、配偶者暴力相談支援センターの相談受理件数は年間約10万件。婚姻歴のある女性の3人に1人がDV被害を経験したとする調査結果もある。

 また、新型コロナウイルスによる生活不安やストレスの影響を受け、同センターへの今年4月、5月の相談件数は前年同月比でそれぞれ3割、2割増加している。


■リスクもある
DV問題に詳しい
戒能民江 お茶の水女子大名誉教授の話

 社会福祉法人によるDV被害者への一時的な避難場所の提供はリスクもある。男性が周囲にいると被害女性は安心できない。メンタルケアの専門職との連携も施設に求められる。単に部屋が空いているから受け入れれば良いというわけにはいかない。婦人保護事業見直しの検討を「加速する」とされたが、もっと踏み込んでほしい。昨年10月の厚生労働省検討会中間報告が「法制度上の新たな枠組みが必要」とした趣旨を踏まえ、本来なら法制化する段階に入っているはずだが、残念ながら現在そうなっていない。障害のある女性は性暴力の被害を訴えにくい。内閣府が進めてきた障害者差別解消法の見直し議論では、障害女性の受ける複合差別も論点になった。改正法に反映されることを期待したい。

【東京の3月のコロナ死者、発表の10倍以上?「超過死亡」を検証する】現代ビジネス 5/17(日) 8:01配信 長谷川 学(ジャーナリスト)
【ウイルスは必ずしも悪ではない、別の感染症の防波堤となることも】ポスト5/17(日)※女性セブン2020年5月21・28日号 7:05配信 



【北広島町のグループホーム 死亡した入所女性の遺族と和解成立】7/14(火) 20:37配信中国放送
 北広島町のグループホームに入所していた女性が死亡したのは、施設側が安全管理を怠ったためだとして、遺族が地元の社会福祉協議会に損害賠償を求めた裁判で、和解が成立しました。
 去年9月、北広島町にあるグループホーム「松籟荘」に入所していた認知症の80代の女性が、夕食後に行方が分からなくなり、その後、近くの川で死亡しているのが見つかりました。
 女性の遺族は、施設側が出入口の扉のセンサーを切ることを常態化させるなど、安全管理を怠ったとして、施設を運営する北広島町社会福祉協議会に550万円の損害賠償を求めていました。
 これまでの審理で、社会福祉協議会は施設の過失を認め、和解の交渉が進んでいました。
 13日、社会福祉協議会が遺族に415万円を支払うことで広島地裁で和解が成立しました。社会福祉協議会は「亡くなられたご本人とご遺族には申し訳なく思っています。再発防止に努めていきます」とコメントしています。

【精神障害者の家族の3割「差別受けた」 医療機関の受診拒否も】福祉新聞7/8(水) 10:02配信
【精神障害当事者の家族に対する差別や偏見に関する実態把握全国調査】
精神障害者の家族の3割が差別や偏見によって理不尽な思いをしたことが、このほど全国規模の調査で分かった。精神障害者のいることを周囲にオープンにするために必要な社会整備としては、半数が「義務教育課程で精神障害の理解を促す授業を増やす」を挙げた。

 調査は全国精神保健福祉会連合会(岡田久実子理事長・みんなねっと)が2019年12月から今年1月にかけて会員に実施。2382件の回答を得た。回答者の約8割は障害者本人の親で、年齢は60~70代が7割を占めた。同連合会によると、差別をテーマとした全国調査は初めて。

 調査結果について国立精神・神経医療研究センターの山口創生氏は「精神障害者の家族が受けたスティグマ(烙印)をテーマとした論文は日本では少ない。これだけ規模の大きな調査は貴重だ。差別経験が3割だった点は私の予想より少ない」とみている。

 差別の内容としては「親族から冠婚葬祭に呼ばれなかった」「近隣住民から無視された」「医療機関で受診を拒まれた」といった記述があった。調査報告書は同連合会ホームページに掲載されている。
 調査は障害者差別解消法の改正に反映させることが狙い。内閣府の障害者政策委員会が6月にまとめた意見書は、障害者の家族が受けた差別も同法の対象とする方向性を打ち出した。


【「就労者は補助対象外」 異例の改正で精神障害者の作業所に動揺(横浜)】福祉新聞7/2(木) 10:02配信
 就労した障害者は作業所に通えなくなるのか――。横浜市が今年4月、地域活動支援センター(精神障害者地域作業所型)の実施要綱を改正し、補助金の交付対象の要件に「就労していない人」を追加した。働く精神障害者は対象外とする内容で、現場は動揺。市は対象外になる人はほとんどないとするが、専門家はセンターの守備範囲を狭める異例の改正とみる。 
「もしここに来なければ、私は仕事を続けられなかっただろう」。地域活動支援センター「ピネル工房」(緑区)に通う山口栄二さん(38)はこう話す。19歳で統合失調症になり、20歳から工房に通う。
  8年前からは会社勤めを開始した。週3日、清掃の仕事に励む。気持ちが沈みがちだが、家にこもるのは嫌い。そんな自分が仕事のない日にリフレッシュできる場が工房だという。
  地域活動支援センターは「創作的活動」「生産活動」「社会との交流」を行う場。気分の浮き沈みのある精神障害者の場合、作業すること以上に「安心できる居場所」を持つことが重要だとされてきた。
■就労後こそ必要
 近年、精神障害者の雇用は伸びているが、就職した後の定着率は低い=グラフ参照。「環境が変化した就職後こそセンターのような居場所が必要」(ピネル工房の島中祐子施設長)という。
 しかし、事態は急変した。横浜市は補助対象とする人の要件を「横浜市内居住の精神障害者」としてきたが、改正後の要綱には「就労していない人」を追加。就労している人は補助対象外という原則を掲げつつ、個別の協議次第では補助対象にするとした。
 センターを運営する側には動揺が広がった。センターに通いながら働く人は利用登録者全体の1割ほどで決して多くはない。しかし、補助対象外となれば通うことをためらい、体調を崩す人が出ると職員たちは懸念している。
 そこで、市内に60カ所あるセンターのうち約半数は6月8日、連名で林文子市長宛てに要望書を提出。追加要件の削除を求めた。
 要望団体の一つ、「NPO法人精神保健を考える会まいんどくらぶ」(港北区)の林洋子事務局長は、「市からは事前に何も知らされていない」とし、今後も話し合いをしたいと申し入れた。
 市は説明不足を認めた上で「ここで言う就労の目安は1日6時間以上を週4日以上働くこと。これに当たる人は少ない。補助対象者を狭くする意図はない」(障害施設サービス課)と表明。新要件を削除はしないが、センター側との話し合いには応じる構えだ。
 市の説明通りならば冒頭の山口さんは補助対象だが、この解釈は要綱には書かれていない。センター側は「市の担当者が代わればこの解釈も変わるのでは?」という不安をぬぐい切れない。
 精神障害者の小規模作業所長の経験を持ち、全国の事情に詳しい青木聖久・日本福祉大教授(精神保健福祉学)はこの要綱改正について「異例の改正だ。就労しながらセンターを実家のように利用しバランスをとっている人の居場所を奪うことになりかねない。他の市町村への影響も懸念される」としている。
■解説
 横浜市の地域活動支援センター(精神障害者作業所型)の補助金交付額は1カ所平均で年間2000万円。その9割は市が負担する。今回の要綱改正では補助単価を約3%上げた。他市町村のセンターは補助金の手厚い横浜をうらやましがる。横浜市は改正により福祉を後退させたい訳ではない。「あいまいだったセンターの機能を明確にするため」という。成果を見えるようにしないと、この先、補助金を維持しにくいという事情もあるようだ。センター側からも「就労している人への支援の成果を見せる努力が足りなかったかもしれない」との声が漏れる。センターの果たすべき役割を改めて議論し、広く理解してもらう機会にしなければならない。
■ことば
 地域活動支援センター=障害者総合支援法に規定された市町村事業の一つ。障害者が通い、軽作業やレクリエーションなどをする。利用は無料。障害者の親などが立ち上げた小規模作業所の多くが移行した。2018年10月現在、全国に2935カ所あり、利用定員は約5万人。

【強制不妊の賠償請求を棄却 東京地裁判決、違憲性は認める】東京新聞2020年7月1日 05時50分
旧優生保護法(1948~96年)下で不妊手術を強いられたとして、東京都内の男性(77)が国に3000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は30日、男性への手術は「憲法が保護する私生活上の自由を侵害した」として違憲性を認めた。旧法自体が違憲かには言及しなかった。賠償請求については、手術から20年が経過していることから、請求する権利が消滅したとして棄却した。原告側は控訴する方針。
◆昨年5月の仙台地裁に続き2件目の判決
同様の訴訟は大阪、静岡など全国八地裁と仙台高裁で計24人が争っている。判決が出たのは、昨年5月の仙台地裁判決に続き2件目。
男性は、14歳だった57年の不妊手術の被害が今も続いているとして、不法行為から20年が経過すると損害賠償請求権が失われるとする民法の「除斥期間」は適用されないと主張。国会には被害回復を図るための立法を怠った不法行為があるとも訴えた。
伊藤正晴裁判長は判決理由で、国は男性の手術に対して賠償責任を負うとし、「手術で子を持つかどうかを決める余地が強制的に奪われた」と、憲法一三条で保護されている原告の自由を侵害したと述べた。
その上で、「不法行為があったのは(63年前の)57年の手術時。提訴した2018年5月の時点で、損害賠償請求権は消滅している」と判断。男性は手術後も被害は続いているとして除斥期間の起算点を争ったが、伊藤裁判長は「どんなに遅くとも、障害者差別を正面から認める形で旧法が改正された1996年時点で提訴が困難だったとは言えない」と述べ、いずれにしても男性に賠償請求権はないと判断した。
◆国会の不作為「明白だったと言えない」
国会の立法不作為については「法改正後にさらに補償や被害回復の立法をすることが、必要不可欠で明白だったとは言えない」として認めなかった。
昨年5月の仙台地裁判決は、旧法が定める不妊手術の規定を「憲法に違反し、無効」と判断していた。
厚生労働省は「国の主張が認められたものと認識している」とコメントした。

◆旧優生保護法とは
ナチス・ドイツの断種法の考えを取り入れた国民優生法が前身。1948年、「不良な子孫の出生防止」を目的に議員立法で制定され、知的障害や遺伝子疾患などを理由にした不妊手術を認めた。国際的な批判を背景に96年、障害者差別に当たる条文を削除して母体保護法に改正されるまで、約2万5000人が手術を受け、うち約1万6500人が強制だったとされる。昨年4月、被害者に一時金320万円を一律支給する法律が施行された。前文は「反省とおわび」を表したが、主体が「国」ではなく「我々」とあいまいにされた。

【検証 旧優生保護法請求棄却 除斥期間、壁高く 「起点、どう遅らせても1996年】東京新聞7月1日朝刊
旧優生保護法下で強制不妊手術を受け、訴訟の原告となった東京都内の男性(77)の前に立ちはだかったのは、不法行為から20年で損害賠償請求権が消える「除斥期間」の壁だった。被害者が抱える事情を顧みず、法的な形式論で訴えを一蹴した東京地裁判決には、識者からは批判の声が上がった。(小野沢健太)
「原告の損害賠償請求権は、既に消滅している」
伊藤正晴裁判長が請求を棄却する理由として真っ先に挙げたのが、除斥期間だった。
◆訴訟で国が請求棄却を求める根拠に
除斥期間とは、権利関係を安定的に確定させるための民法の規定で、被害者の事情は考慮されずに画一的に20年と定められている。戦後補償などの国家賠償訴訟で、国が請求棄却を求める根拠としてきた。
強制不妊手術を巡る2件目の司法判断となった今回の判決。仙台地裁が昨年五月に判決を言い渡した訴訟で原告側は、国会が被害回復を図るための立法措置を怠ったと主に訴えたが、今回の訴訟の原告側は「損害は今も続いている」(弁護団の関哉直人弁護士)という点を最も強調した。
関哉弁護士は「被害者は永久に子ができない人生を強いられている。不法行為を手術時だけに限定するのは許されない」と話す。
◆最高裁が例外を求めたのは2件だけ
しかし、これまでに最高裁が除斥期間の例外を認めたのはわずか2件。殺人事件の遺族が26年間、事件発生すら知らなかったケースと、予防接種の後遺症で寝たきりになり、22年間訴訟を起こせなかったケースだけだ。
判決後、東京・霞が関の司法記者クラブで会見した全国優生保護法被害弁護団の新里宏二共同代表は「被害者は国から『不要な人』とラベリングされていたんです。そんな状況下で被害を言い出せるわけがない。なぜ提訴できなかったのか、被害や加害の実態を全く見ていない判決だ」と批判した。
旧優生保護法から障害者差別にあたる条文を削除し、母体保護法に改正されたのは20年以上前の1996年。最後の手術は96年で、除斥期間が一律に適用されるならば賠償を認められる人はいなくなる。
旧法に詳しい東京大大学院の市野川容孝教授(医療社会学)は「本人には分からせない形で手術を強制していた旧法の特殊性を踏まえ、除斥期間の対象から外すべきだ」と強調する。
◆判決の論法は人権への無理解の表れ
敬和学園大の藤野豊教授(近現代史)は「国が旧法によって『障害者は子どもを生んではいけない』という差別意識を社会に根づかせた。除斥期間内に提訴しなかったから国の責任は認めないという判決の論法は、人権問題への無理解の表れだ」と非難する。
その上で「国が賠償に消極的なのは、国による人権侵害がなぜまかり通ったのかが十分に検証されていないからだ。国が自らの過ちにきちんと向き合わなければ、被害者に対する姿勢も変わらないだろう」と指摘した。
菅義偉官房長官は30日の記者会見で、旧優生保護法に基づき不妊手術を強制されたとして、男性が国に損害賠償などを求めた訴訟で、東京地裁が原告の請求を棄却したことについて、「判決では、国家賠償法上の責任の有無に関する国の主張が認められた」と述べた。
また、「旧優生保護法に基づく優生手術などを受けた人に対して、着実な一時金の支給に全力を挙げて取り組んでいきたい」とも語った。



【非情な判決「体震えた」 原告男性、憤りあらわ 強制不妊】時事通信6/30(火) 18:51配信
強制不妊をめぐる訴訟で、敗訴した東京都在住の原告男性(77)は30日、弁護団と共に記者会見し、「もっといい内容を期待していたが、判決を聞いて体が震えた。家族にどう報告したらいいか分からない」と痛切な表情で訴えた。
男性は、20年の経過で請求権が消滅したとする東京地裁の判断に言葉を失ったといい、「国には私たちの前で謝ってもらいたいだけ。それが無理なら、元の体に戻してくれと言いたい」と怒りをあらわに。「墓までこの苦しみを持って行きたくはない。命のあるかぎり訴えていく」と声を絞り出した。
全国弁護団の新里宏二団長は「仙台地裁の判決よりも後退した、非常に冷たい判決だった。旧優生保護法が違憲かどうかも述べずに逃げた」と批判。「必ず覆せると思っている」と述べ、控訴する意向を示した。
同様の訴訟を熊本地裁に起こした渡辺数美さんは「とても納得できない。旧優生保護法自体の違憲、違法について何の言及もなかったことに大きな憤りを感じる」とのコメントを寄せた。神戸地裁で係争中の夫婦は「仙台でも東京でも負けが続き、残念でならない」「みんな平等に生きる権利があると訴えていきたい」とした。

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